昭和18年の関西旅行

日本橋バビロン

日本橋バビロン

小林信彦の新刊「日本橋バビロン」を読んでいて気になる箇所があった。小学生の小林少年が父親と関西旅行をするくだりである。

 東京駅を発ったのは三月二十四日午前十時。特急列車に乗ったと思うが、京都に着いたのは夜である。列車の旅はうんざりするほど長く、京都ではふつうの旅館に泊まったように思う。
 翌日が忙しかった。皇大神宮伊勢神宮の内宮)、二見ヶ浦橿原神宮と、<日本国民の魂のふるさと>と呼ばれたコースを歩き、天理まで足を運んでいる。
 二十五日一日で、これらをまわったので、風景を目に焼き付けるどころではない。近鉄で上本町六丁目に出て、大阪市北区茶屋町の親戚宅に泊まっている。(中略)
 あくる二十六日、一日がかりで帰京。二泊三日の強行軍は、五年生になろうとする子供にもこたえた。

3月25日に伊勢・橿原・天理とまわるのに、なぜ前日京都(名古屋ではなく)に泊まったのだろう。京都からこのコースで大阪までたどり着けたのだろうか。当時の時刻表(昭和17年11月号復刻版)で調べてみた。
25日のルートは、十分実行可能な行程だった。京都8:03発、草津線を経由し、宇治山田10:59着の440列車がある。現在の近鉄特急が京都・宇治山田間で2時間3分かかるから、結構早い。
伊勢から大阪へは、関西急行が30分おきに運転している。宇治山田を13:10に発てば、大和八木(14:56着)で乗り換えて、15時過ぎには橿原神宮に着く。橿原神宮・関急郡山・天理間も30分間隔で、所要時間は40分ほど。天理・上本町間は、天理を18時に出れば西大寺経由で上本町には19時半前に着く。
名古屋経由にしなかった理由は不明だが、当時のダイヤは結構フリークエントで、所要時間も短かったことがわかった。
なお、3月24日の東京発10時の列車は特急ではない。10:00発は、急行15列車下関行で、京都駅着は19:37だから、おそらくこれに乗ったのだろう。当時の特急は、東京9時発神戸行の「つばめ」、13時発神戸行の「かもめ」と15時発長崎行の「富士」しかなかった。