等級制からモノクラスへ

昨日、デスクトップ鉄のデータルーム別館の「国鉄旅規改定履歴」を更新し、1969年の改訂を追加した。明治以来の等級制を廃止し、モノクラス制に移行した5月10日施行の改定は、国鉄時代の最も重要な旅客制度変更である。
従来の1等の旅客運賃・料金制度が廃止され、旧1等車は特別車両(グリーン車)に代わり、運賃のほかに特別車両(グリーン)料金を収受することとなった。第130条で定められたグリーン料金に運賃を加算すると、優等列車グリーン車を利用する場合の運賃・料金は普通車の1.5倍強であり、従来の1等運賃が2等の2倍であつたことと比べると、その格差はかなり縮小した。
グリーン料金は、急行料金と同様、大刻みのキロ地帯別に定められた。この点は、従来の1等運賃と異なっている。しかし、その他の面では、当時のグリーン車制度は、限りなく1等運賃制度に近かった。グリーン車に連続して乗車するときは、1枚の特別車両券が発売された(第58条第1項)。グリーン車乗車区間が中抜けの場合でも、1枚のグリーン券を発売(第58条第2項)し、この場合前後のグリーン車乗車区間のキロを通算(第130条第2項)するという制度も、運賃計算及び従来の異級制度を踏襲している。また、第175条で、乗車券の効力規定(有効期間、選択乗車、継続乗車船等)がグリーン券にも適用された。小児のグリーン料金は、旧1等運賃と同様、大人の半額であった。
第58条第2項の中抜け規定は、「別に定める鉄道区間」が介在するときは、その区間グリーン車に乗車しなくても「1枚の特別車両・船室券を発売することがある」という任意規定であったが、当初は1枚のグリーン券で複数の列車にまたがった乗車を認めていたようだ。200キロメートルをこえる普通列車のグリーン券(特別車両券(B))の有効期間は2日だったから、「ムーンライトながら」の前身の夜行普通列車に、日付が変わる横浜から乗車、大垣・宇野間をグリーン車が連結されていない普通列車を乗り継ぎ、宇高連絡船で四国に渡り、予讃線土讃線に運転されていた夜行普通列車グリーン車に乗車できたという。80キロ超の普通列車のグリーン料金は一律300円だったから、運賃に加えて300円のグリーン料金を払えば、横浜から普通車のグリーン車で連泊して松山や高知まで行けたのである。この矛盾に気がついた国鉄は、その後第58条第2項を普通列車グリーン車に適用しなくなったようだ。
特別車両券が1回乗車(新幹線の乗継ぎ等を除く)ごとの実質的な料金制度に改まるのは、1974年10月1日の旅規改訂を待つことになる。