昨日のウェブ更新

JR旅客制度特例の変遷を更新しました。

経路特定制度は、1920(大正9)年、奥羽本線経由、常磐線経由でも東北本線経由で運賃を計算する制度の制定によりはじまったというのが定説になっている(近藤喜代太郎・池田和政著、国鉄乗車券類大事典、JTB)。読者から教えていただいた「日本国有鉄道百年史」(第8巻)の記事でも、1920(大正9)年10月制定の「国有鉄道旅客及び荷物運送規則」26条において規定されたと書かれている。ところが、「百年史」第5巻の記述によって、1907(明治40)年11月に、特定旅客運賃として、現在の運賃特定区間と経路特定区間をあわせたような制度があったことが判明。これを脚注2に記した。

選択乗車制度の起源は「百年史」にも書かれていない。2-3年前に見つけた神戸大学付属図書館のアーカイブに、大正時代の選択乗車制度の新聞記事があったことを思い出し、脚注3に記載した。このアーカイブには、戦前の鉄道に関するの興味深い記事が掲載されており、おすすめです。

ウェブには書かなかったが、「百年史」第13巻の列車特定制度の表記に誤りがあることがわかった。長万部岩見沢間の経路特定制度は、昭和32年4月に列車特定制度に変更され、昭和41年3月列車特定制度も廃止されたと書かれている。ところが、交通博物館図書室で閲覧した昭和33年11月、昭和37年4月現行の細則の列車特定区間には記載されていなかった(時刻表の昭和36年10月号、39年10月号にも、そのような注記がない)。この点は旅客営業制度の権威者に、当時の雑誌「運輸界」の記事でも確認していただいた。