関西私鉄の金額式回数券のルーツを調べるために、国会図書館で各社の社史を閲覧してきた。関西私鉄大手五社はいずれも創業100年を迎え、次のとおり百年史を刊行している。
事業者 | 設立年 | 開業年 | 社史 | 刊行年 |
---|---|---|---|---|
南海電気鉄道 | 1884(大阪堺間鉄道 | 1885(阪堺鉄道) | 南海電気鉄道百年史 | 1985 |
阪神電気鉄道 | 1899(摂津電気鉄道) | 1905 | 阪神電気鉄道百年史 | 2005 |
阪急電鉄 | 1907(箕面有馬電気軌道) | 1910(箕面有馬電気軌道) | 百年のあゆみ | 2008 |
京阪電気鉄道 | 1906 | 1910 | 京阪百年のあゆみ | 2011 |
近畿日本鉄道 | 1910(奈良軌道) | 1914(大阪電気軌道) | 近畿日本鉄道100年のあゆみ | 2011 |
このうち国会図書館で閲覧できたのは、阪神、京阪、近鉄の百年史である。阪急は「75年のあゆみ」、南海はその後の10年を扱った「南海二世紀にはいって十年の歩み」しか所蔵されていない。
「京阪百年のあゆみ」は、A4版、「通史・テーマ史」と「資料編」の2分冊で1,000 ページを超え、閲覧した中で最大のボリュームを有する。旅客営業制度の歴史についても最も詳細に記述されており、資料編には1910年の天満橋・五条間の開業から、2008年の中之島線開業までの旅客運賃の変遷が掲載されている。索引と年表も充実している。
金額式回数券のルーツに関する記述は、各社の社史から発見できなかった。京阪のオフピーク、サンキュー券の発売は1995年9月で、その画像が掲載されていたが、すでに金額式になっていた。Tatsumi さんのコメントの近鉄のカード式回数券「パールカード11」の発売は、「近畿日本鉄道100年のあゆみ」によると1985年10月だが、そのころ変更になったのかもしれない。
一方、阪神、京阪、近鉄とも開業時は区間制運賃を採用し、1974年7月、対キロ区間制運賃に変更したことが判明した*1。
近鉄の運賃制度は、次のように変化していて興味深い。1914年4月の上本町・奈良間開業時は
開業時の大軌では、起終点を含めて13駅を設置した。運賃は全線を6区に分けた「区間制」とし、1区の運賃を5銭とした。区界をまたぐごとに5銭ずつ加算されるもので、6区の上本町・奈良間は30銭であった。乗車券には、普通乗車券、回数乗車券、定期乗車券、団体乗車券および1車貸切券の5種類を設けた。
と開業時から回数券が存在していた。区間の分割駅は、深江、若江、石切、富雄、西大寺である。同年11月には、上本町・鶴橋間に3銭の特定運賃を設定している。1942年4月の運賃改定で対キロ制運賃とした。
運賃制度については、大軌・参急とも多くは被統合会社の運賃体系を引き継いできたため、路線ごとに体系が異なるという弊害があった。さらに大軌の場合、対キロ制を適用する地方鉄道区間に対し、軌道区間では区間制を採用していたことが問題を複雑化させていた。(中略)
改定後の運賃制度は、上本町・今里間など特定運賃を設定した4区間と鋼索線を除き、全線「対キロ制」で統一した。基本賃率は135kmまでが1kmあたり2銭、135km超が同1銭であった。これは、国鉄の150kmまでは同2銭、150km超同1銭と比べて割安で、また2〜4kmの短距離区間に国鉄よりも定期運賃を低水準に設定し、工員定期を新たに設定するなど、利用目的に応じた運賃体系となった。そのほか、国鉄との関係では、名古屋、桑名、四日市、津、松阪、宇治山田の6都市間で、普通回数券と定期券について、国鉄または関急のいずれにも乗車できる制度を適用した。
以降、1951年11月に「一部の区間において区間制旅客運賃を適用」し、1962年11月「全線において区間制旅客運賃を適用」、1966年1月「一部の区間において対キロ制旅客運賃」に戻し、1974年7月「大半の区間において対キロ区間制旅客運賃を適用」に至る。
日本の鉄道旅客運賃制度は、京浜間の区間制、阪神間の距離比例制(当時は対マイル制)で始まったが、国鉄においては対キロ制に統一された。近鉄の運賃制度の変遷に見られるように、私鉄は、軌道の区間制、鉄道の対キロ制を折衷した対キロ区間制を採用したことがわかる。