連絡船とバス−本日のウェブ更新

旅規条文の改訂内容を別フレームで参照しながら旅客制度の変遷をたどる、別館「旅規ポータル」の「旅規の変遷を読む」シリーズの第二弾として、連絡船とバスを掲載した。連絡船は4月1日の宮島航路の子会社移管で、バスは2002年10月1日のJR四国の自動車線約款分離によって旅規から消えたが、航路と自動車線の旅客運送約款は、ずっと鉄道と共通であった。1958年10月の旅規の全面改定以降の航路と自動車線に関する条項の変化をたどった。
6月4日に掲載した等級制からモノクラス制へでは、国鉄時代の条文改訂内容だけを別フレームで参照したが、「連絡船とバス」では、民営化以降の条文変化も参照している。民営化後の旅規改定公告は、国鉄時代の公示を掲載した「鉄道公報」に代わるJR各社の「社報」に掲載されているが、これは一般に公開されていない。したがって、旅規改定の日と内容は、公刊されたさまざまな資料から推定するしかなく、6月4日の記事では、「JR版旅規改訂履歴の公開は、まったくめどが立っていない」と書いた。今回読者の方から間違いの指摘を期待して、推定した旅規条文の変化を記載することにした。いずれ「JR版旅規改訂履歴」として公開したい。
国鉄自動車五十年史」によると、国鉄バスに旅規が適用されたのは、1930年12月17日。第1号の岡多線開業時から旅規の適用を受けていたことになる。それでも、自動車指定券など、旅規とは別に定められた規則が多い。「連絡船とバス」では、別途公示された各種の規則もできるだけ紹介するようにした。