鉄道管理局の所管区域-国鉄組織の変遷(2)

旅規ポータルの日本國有鉄道組織規程(1950)を更新し、別表第三(地方自動車事務所の所管区域)と営業所の名称及び位置(昭和25年8月26日日本国有鉄道公示第188号)を追加した。別表第三は鉄道管理局から分離された地方自動車事務所の所管区域。路線名のほか、市町村名が記載されており、注記はないが予定路線の区間と思われる。

あわせて鉄道管理局所管区域対比(1950vs1949)を掲載し、1950年8月鉄道管理局発足時の管理局の所管区域と1949年6月日本国有鉄道発足時の鉄道局・管理部の所管区域を対比した。49の管理部が27鉄道管理局に再編された。単独で鉄道管理局になった管理部もあるが、所管区域は変化した。管理部は県境を区界として路線を分割する例が多かったが、鉄道管理局制では長大路線を除き分割せず、分岐駅とその隣接駅の間を区界として一管理局が路線を管轄するように改められた。

1950年発足した27鉄道管理局は、1955年の青函鉄道管理局の青函船舶鉄道管理局への改称、1959年の国鉄道管理局の四国支社(1970年四国総局)への変更、1969年の東京鉄道管理局の3分割を除いて国鉄末期まで存続した*1。また管理局界も、本州内路線を青函局から盛岡局に、門司局から広島局に移管したのを除いてほぼ踏襲された。

鉄道管理局所管区域対比の作成で時間を要したのは、JRに現存しない路線*2区間・駅についての注記である。70年を経過し多大な変化があった。東西・南北に別れていた釜石線大糸線紀勢線などが全通する一方、多くの路線が廃止されまたは第三セクターに転換した。また網走線の部が削除され、網走本線が池北線と石北本線とに分割されるなど、線路名称の再編も多い。近年の変更を除き、停車場変遷大事典(JTB、1998年)を参照して跡付けた。

 

 

*1:本社と管理局の間に支社・総局の中間組織が存在した時期もあり、最晩年の1985年3月には札幌局が北海道総局に、門司局が九州総局に統合された

*2:整備新幹線開業に伴い第三セクター化した並行在来線を除く

鉄道管理局の誕生-国鉄組織の変遷(1)

旅規ポータルに日本國有鉄道組織規程(1949年6月1日施行)(鉄道局の所管区域及び鉄道局管理部の所管区域を併記)及び日本國有鉄道組織規程(1950年8月1日施行)を掲載した。公共企業体としての日本国有鉄道発足時と、その14箇月後の全国に鉄道管理局制を導入した時点の国鉄組織規程である。以下、日本国有鉄道公示と日本国有鉄道百年史(第12巻)の記事により、この間の変遷を跡付ける。

日本国有鉄道は、1949年6月1日、運輸省鉄道総局が管理・運営していた鉄道事業とその関連事業(連絡船・自動車等)を承継し、発足した。国鉄の組織は、旧運輸省鉄道総局の業務組織とほぼ変わらず、地方組織も「中央-鉄道局-管理部-現場」という4段階の組織であった。

1949年9月1日の組織改正で、本庁に総裁室・技師長及び運輸総局・法務局・経理局・営業局・資材局・厚生労働局を設置、運輸総局は「旅客及び貨物の輸送並びに施設及び車両に関する事務をつかさどる」とされ、職員局・輸送局・施設局・車両局・信号通信局・自動車局・公安局を傘下に位置付けた。

また9月20日、北海道鉄道局が組織規程から外れ、日本国有鉄道北海道地方組織規程が制定された。札幌鉄道局傘下の8管理部を廃止して、札幌・旭川・釧路の3鉄道局に再編、鉄道局と並列の地方機関として、地方資材部・地方営業部・地方自動車部が置かれた。1950年1月10日、3鉄道局は鉄道管理局に改められた。

4月1日には北海道にならって、四国にも四国鉄道管理局が設置された。また「日本国有鉄道地方自動車事務所の組織及びその事務分掌に関する規程」が制定され、全国に地方自動車事務所が設置され、自動車線は鉄道局(鉄道管理局)の所管から外れた*1

1950年8月1日の組織改正で、鉄道管理局制が全国に適用され、「本庁-地方機関(鉄道管理局)・営業・資材・経理の各地方事務所-現業機関という3段階の組織」*2となった。その後複数の鉄道管理局を統括する支社・総局などが設置され4段階の時代もあるが、鉄道管理局は1987年の分割民営化まで、国鉄地方組織の根幹であった。

 

*1:同時に自動車局は鉄道総局の傘下から外れた

*2:国鉄百年史第12巻p222。自動車が記載されていない

1964年版国鉄連絡運輸規則掲載

旅規ポータルの旅規アーカイブスに、東海道新幹線の開業日の日本国有鉄道連絡運輸規則(1964年10月1日現行)と、これと既掲載の1970年版とを対比した連絡運輸規則対比(1964vs1970)を掲載した。この間旅客制度における二つの大きな改定があった。1969年5月10日の等級制の廃止と1970年10月1日の乗車変更制度の変更であり、これが連絡運輸規則にも反映されている。

原典に別表は記載されていなかったが、連絡運輸する私鉄が多かったことがが本文からもうかがえる。例えば、特定小児旅客運賃定のある運輸機関(41条の注)にその後廃止された多くの地方私鉄が記載され、国鉄電車区間に接続する社線(53条)に当日近鉄と合併した信貴生駒電鉄が残っている*1。41条注には奈良電気鉄道の名前もあるが、1963年10月に近鉄と合併しており、バス部門だろうか。よくわからないのは、当時も伊豆急行や南海などとの間で急行の直通運転が行われていたのに、1964年版に連絡急行券座席指定券の規定がないこと*2

旅規リンク集もあわせて更新した。千葉都市モノレール多摩都市モノレール舞浜リゾートラインのモノレール3社が新たに旅規を掲載した。なお千葉都市モノレールは、旅客営業規則だけリンクが貼られていない。

 

*1:時刻表1964年10月号も信貴生駒電鉄として記載

*2:84条に社線駅における国鉄急行券の発売規定はある

青函航路自動車航送規則

旅規ポータルの旅規アーカイブ青函航路自動車等航送規則・取扱基準規程(1970)を掲載した。青森・函館間航路自動車等航送規則及び同取扱基準規程が施行されたのは1967年6月1日(昭和42年5月16日国鉄公示第257号)だが、所持する基準規程が1970年6月1日現行版なのでこれと対比した。67年の制定施行時は等級制の時代であり、70年版で「削除」となっている規則第13条は、旅客の上級変更の規定だった。また航送料金は67年当時から3.3-13.5%値下げされている*1

青函航路の自動車航送について、日本国有鉄道百年史(第13巻、p393-394)は次のように書いている。

 昭和30年代末期からの自動車の急速な普及と道路整備の進展から、必然的に青函航路における自動車航送の要請が高まり、41年2月から、その本格的な検討が開始された。道南海運および東日本フェリーの両民営業者からの反対もあったが、両者と折衝を重ねた結果、同年12月には、「青函連絡船による乗用車航送については、片道1船6両、1日2往復とし、42年6月から実施する」ことで合意に達した。
 そこで津軽丸型客貨船の遊歩甲板船尾に乗用車6両を搭載できるスペースを取るなどの各種工事を施し、また42年5月16日には青森・函館間航路自動車等航送規則及び同取扱基準規程を制定したうえで、同年6月1日より乗用車航送を開始した。
 当初は2往復であったが非常に好評で輸送要請も高まったため、次第に増便され、現在平常時6往復、繁忙期8往復の航送を行なっている。また1船あたりの搭載両数も44年度に8両、47年度には12両と増強し、航送需要の増加に対応している。

時刻表1970年10月号のピンクのページ「青函航路の自動車等航送切符」では、1便当たり6両、1日8往復と若干異なる。また発売箇所に一戸駅と交通公社盛岡営業所が追加されている。なお、昭和45年5月30日国鉄公示第229号(6月1日施行)で、規則第6条1項は次のように改定されている。おそらく発売箇所の規程が基準規程に移行したものと思うが、参照した70年6月版の規則と基準規程は、これを反映していない。

自動車等航送切符は、当該連絡船が出航する日の14日前の9時から国鉄が別に定める個所で発売する。

国鉄の連絡船による自動車航送は、青函航路以前に大畠・小松港間航路(1954年7月29日開始)、宮島口・宮島間航路(1962年11月1日)及び仁方・堀江間航路(1965年7月1日)で行われていた。しかし、規則を制定して実施したのは青函航路が初めてである。国鉄百年史が規則と基準規程の制定について書いているのはこのためだろう。それ以前の3航路は、次のような簡単な公示だけだった。

日本国有鉄道公示第176号

昭和29年7月15日から大畠・小松港間航路において自動車類を航送することとし、その取扱方を次のように定める。
昭和29年7月12日
日本国有鉄道総裁 長崎惣之助
1 取扱範囲
大畠・小松港相互間に限る。
2 取扱方
(1) 自動車類の積卸しは、貨主の負担とし、積込は出港5分前までに、取卸しは到着後10分以内に終了するものとする。
(2) 自動車類には、火薬類、圧縮ガス又は液化ガスの類を積載しないものとする。
(3) 積載自動車は、長さ10.8メートル、高さ2.3メートルをこえないこと。
(4) 付添人は1両につき2名以内とし(付添人以外の乗車は認めない。)、付添人料は回航路の旅客運賃と同額とする。
3 航送料金
トラツク
(1) 標記積載トン数1トンをこえるもの 1台につき 2,000円
(2) 〃1トン以下のもの       〃    1,000円
乗用車(3輪乗用車を含む。)   〃    1,500円
バス及び消防自動車        〃    2,000円
オート3輪車           〃     700円
この公示に定めない事項については、一般貨物運送の例に準じて取り扱うものとする。

 青函航路についても、乗用車の航送開始の1年前の1966年8月18日に、トラックについてこのような公示が出た。期間は当分の間となっているが、8月26日の公示第524号で当日限りで廃止された。百年史によれば、民営業者との協議のさなかである。もちろん百年史には記載がない。いったい何だったのだろう。

日本国有鉄道公示第509号

青森・函館間における自動車類の航送の取扱方を次のように定める。
昭和41年8月18日
日本国有鉄道総裁 石田 禮助
1 取扱範囲
青森・函館相互間に限る。
2 期間
昭和41年8月18日から当分の間
3 取扱方
(1) 自動車類の積卸し並びに自動車類及び積載貨物の防護及び保管は、荷主の負担とする。
(2) 荷主は、運送中の自動車類の移動を防止するために、制動機による制動を施すものとする。
(3) 自動車類(貨物を積載した場合は貨物を積載した状態における自動車類)は、幅3メートル又は高さ3.5メートルをこえないものとする。
(4) 自動車類には、貨物運送規則(昭和24年9月日本国有鉄道公示第125号)別表貨物等級表に定める危険品を積載しないものとする。
(5) 付添人は、1台につき2名以内とし、付添人料は収受しない。
4 航送料金(積空にかかわらず1台につき) 
車種別 自動車の長さ 料金
トラツク 3メートルまで  6,000円
4 10,000 
5 12,000 
6 18,000 
7 21,000 
8 24,000 
9 27,000 
10 30,000 
11 33,000 
以上1メートルまでを増すごとに  3,000 
5 航送料金の収受
諸料金切符により収受する。
6 その他
この公示に定めてない事項については、一般貨物運送の例による。

 追記(8月30日):本文に書かなかったが、気になっていたことがある。青森・函館間航路自動車等航送規則の「自動車等」の意味。第2条第1号に

(1) 「航送」とは、青森・函館間航路において自動車及び旅客(以下これらを「自動車等」という。)を同時に運送することをいう。

 とあり、自動車と旅客を合わせて「自動車等」と定義している。自動車の航送規則ではあるが、モノを主にヒトを従とした当時の起草者のセンスを疑う。

*1:往復の復路料金の割引率は10%から5%に低下

続・モノクラス制移行半世紀

5月10日の記事モノクラス制半世紀に、「国鉄がモノクラス制に移行したのは運賃法定制の制約を逃れるため」というコメントがあった。現在発売中の「鉄道ファン」9月号の特集は「グリーン車50年」で、須田寛氏のインタビュー記事が掲載されている。須田氏は1969年当時国鉄旅客局調査役*1で、このコメントを裏付ける証言をしている。

当時は一等運賃と二等運賃が両方とも法律で決まっていました。一等運賃は二等の1.66倍、通行税を入れて2倍と決まっていたのです。この一等運賃を法律から外して設備利用料金にすることによって、それは認可制になりますから、線区によって料金を変えることができるわけでしょう。そういう弾力的に運用することも考えてモノクラス制に移行したのです。

鉄道ファン記事の聞き手は福原俊一氏。同じコンビの「須田寛の鉄道ばなし」(JTBパブリッシング、2012年)を読み返すと、須田氏は同じ話をしていた(p83-84)。この箇所が頭に残っておらず、前記事には「日本国有鉄道百年史」に記載されていた「設備格差の縮小、利用実態の変化等を考慮して、1本立ての制度に改めたという」という国鉄の公式見解を記した。国鉄の正史である「百年史」の刊行が開始されたのは1972年。国鉄時代に法定運賃の緩和策などという、あからさまな表現はしなかったということか。

須田氏は、鉄道ファンの記事で、モノクラス制移行の前段階として、昭和30年代初めに国鉄が外部の有識者により設置した鉄道運賃制度調査会について話している。調査会は次のような答申を出したたとのこと。

  • 遠距離逓減制から距離比例制へ
  • 三等級制から二等級制またはモノクラス制へ
  • 近距離の特急急行料金の弾力運用
  • 運賃を法律で規定するのはなじまない
  • 定期券割引率の低下
その結果、1960年7月の運賃の二等級制への移行と合わせて、遠距離逓減運賃が4段階から2段階となり*2、また料金については、法定から大臣による認可制となった。

ところで、線区別のグリーン料金の弾力的運用について須田氏は、

総武快速横須賀線が直通するとき、横須賀線グリーン車総武線にそのまま入っても乗ってもらえないだろうと言われました。実際に当初は乗車率がよくなかったので、総武線だけ安いグリーン料金を作ったりしましたが、そのうち多くのお客さまに乗ってもらえるようになりました。

と述べている。記事には「快速のグリーン料金が大巾に割引になりました」という総武快速データイムグリーンきっぷの案内チラシの画像が掲載されている。画像は小さくて読み取りにくいが、

  • 10時以降快速電車のグリーン車を往復ともご利用になる場合に発売します。
  • 発駅*3~品川駅において快速電車のグリーン車に乗車できます。
  • 途中下車しない場合は後続のグリーン車に乗車できます。
  • 発売当日のみ有効です。
  • 途中下車はできません。

が発売条件のようだ。後続のグリーン車乗車は、グリーン券は1列車に有効という原則に反している。しかし、1枚のグリーン券による首都圏の普通列車間のラッチ内乗継は、2004年に基準規程101条の2に規定される以前から、ローカルルールとして認められていた。

データイムグリーンきっぷをウェブで検索しても「データイムグリーン料金回数券」ばかりで、ヒットしない。一つだけ見つけたのが、Google Booksの総武線120年の軌跡の次の箇所。

横須賀線では特にラッシュ時など立ち客も出るほどの乗車率のグリーン車であるが、これが総武線に直通した場合に乗客がつくのか心配された。当初こそデータイムグリーン券などの割引きっぷで乗客増が図られたが、次第に乗客も増え、この懸念は払しょくされた。

この「データイムグリーン券」が「データイムグリーンきっぷ」のことだろう。「当初」というから、1980年10月の横須賀線直通開始時点から発売されていたようだ。

追記(8月11日):コメントにあったように「データイムグリーンきっぷ」は、あまり知られていなかったようだ。筆者も「鉄道ファン」の記事で初めて知った。須田氏は「須田寛の鉄道ばなし」でも、「総武線だけ安いグリーン料金を作った」と同じことを言っているが、「データイムグリーンきっぷ」については書かれていない。

筆者は、これが「データイムグリーン料金回数券」の前身だったのではないかと思う。しかし、「グリーン回数券」がいつから発売されたのかもはっきりしない。Wikipediaには、「2004年10月15日限りで廃止」とあるだけで、発売開始日については書かれていない。

2004年10月16日は、湘南新宿ラインの全列車にグリーン車を連結し、南北直通運転を開始した日である。「グリーン回数券」使用範囲の拡大の前に廃止されたことになる。最低運賃による近郊区間大回り乗車でこれを使ってみようと考えていた*4が、実行しないうちに廃止されてしまった。

またこの日は、首都圏の普通列車グリーン車のラッチ内乗継が旅規58条3項と基準規程101条の2に規定された日でもある。

追記2(8月12日):8月11日のコメントについて追記する。

総武快速データイムグリーンきっぷ」が料金券なのか、乗車券一体型なのかは、筆者も気になっていた。鉄道ファン掲載のチラシに料金欄があるが、字が小さくて読み取れない。これが解読できれば、どちらかわかる。

コメントに書かれている「グリーン回数券」は、旅規に規定されていた「特別車両普通回数乗車券」のことだろう。従来の一等回数券の代替として、乗車券と特別車両券とを1券片として発売したもので、1969年7月1日旅規に規定され、これも2004年10月16日削除された。旅規規定の「特別車両普通回数乗車券」があったから、特別企画乗車券である「データイムグリーン料金回数券」は、「料金」を挿入し、料金券であることを示したと思われる。

なお、昨日の追記で「データイムグリーン料金回数券」を「グリーン回数券」と略記したために、誤解を生じたかもしれない。昨日書いたのは、あくまでも「データイムグリーン料金回数券」のことである。

*1:その後国鉄旅客局長、JR東海社長・会長などを歴任、現在はJR東海相談役

*2:その後1979年5月、現行の3段階となる

*3:発売駅は千葉、稲毛、津田沼船橋

*4:その後ホリデーグリーン券で実行した。2013年12月16 日記事参照。

国鉄の副業規則

国鉄の副業は、鉄道(連絡船、自動車を含む)事業にかかわる附帯事業等に限られていた(日本国有鉄道法第3条)。駅構内、列車等のスペースを活用した附帯事業として、駅構内営業と広告媒体事業があった。その取扱いを定めた、日本国有鉄道構内営業規則(1954年7月1日施行)日本国有鉄道広告取扱規則(1957年4月1日施行)を旅規ポータルに掲載した。出典は、官報に掲載されて国鉄公示(構内規則は昭和29年7月1日公示第172号、広告規則は昭和32年3月22日公示第75号)。

どちらも60年以上前の、時代を感じさせる規則である。構内規則の構内旅客運送営業には、馬車(馬そりを含む。)・人力車(そりを含む。)・厚生車などの項目がある。厚生車とは、輪タク自転車タクシー)のことらしい。食堂車営業も絶滅した。また、広告規則には、なつかしい「車内つり皮広告」があった。

駅に掲出するポスターの料金は、駅の等級(特等と1等から10等までの11段階)によって定められていた。構内営業料金(業者が国鉄に支払う料金)も、手回り品運搬(赤帽)、くつみがき、構内旅客運送営業等、広告規則の駅等級によった*1

別表第2に、連絡船桟橋、自動車駅を含むすべての駅の等級が記載されている。1957年時点で特等は、東京、上野、新宿、大阪の4駅だけ。1等は、東京鉄道管理局管内の7駅のほか、京都と天王寺だけ。意外なのは、川崎が1等だったのに、横浜は桜木町、小田原、鎌倉、逗子、横須賀と同じ2等だったこと。その後61年4月1日に1等に昇格し*2、64年11月1日に1等がA、Bにわかれ、川崎などとともに1等Aに、さらに70年10月1日特等Bに昇格し、川崎より上位になった。70年代後半以降、広告取扱規則の改正公示(とくに別表)は官報では「内容省略」となり、その後の推移はわからない。

 

 

*1:構内規則の施行時の広告規則は旧規則で特級がない

*2:このとき特等がA、Bにわかれ、東京だけ特等Aに、特等Bに3駅のほか、有楽町が昇格

乗車券類委託発売規程

旅規ポータルに国鉄時代の乗車券類委託発売規程を掲載した。1954年9月10日施行の規程(1954年規程)と1965年10月1日全面改定した規程(1965年規程)を対比している。

出典は、官報に記載された国鉄公示である(1954年規程は昭和29年9月9日公示第262号、1965年規程は昭和40年9月24日公示第546号)。連絡運輸規則は別表に意味があるが、委託発売規程も別表記載の委託発売する旅行会社の営業所の変遷が興味深い。1965年規程の別表1は、国鉄公示にリストが記載されておらず、1954年規程以降の公示を積み重ねて作成したものである。営業所の開廃だけでなく、住所の変更等も別表の改正として、そのつど公示された。数年前にもトライしたが、あまりに膨大で途中で挫折した経緯がある。今回再挑戦し、1965年までたどりついた。一部整合性に欠けるところがあったが、ほぼ完成した。

1954年当時の委託業者は、日本交通公社*1だけで、ほとんどの営業所ですべての乗車券類を取り扱っていた。国鉄との蜜月時代を象徴している。1965年の交通公社のリストに、日大、中大と大学内の営業所が注目される。東大、京大にも設置されていたが、1965年以前に廃止された。カニ族と呼ばれた大学生の旅行が盛んだった時代ならではである。

1957年1月1日日本旅行*2が加わる。当初は団体乗車券だけだったが、1960年9月1日から周遊券も扱うようになった。その後加わった近畿日本ツーリスト(1957/01/01)、全日本観光(1957/01/01)*3、東急観光(1958/05/01)、日本交通観光社(1961/07/01)*4名鉄観光サービス(1964/07/01)は、1965年時点まで団体乗車券のみである。大半が修学旅行関連の業務だったと思われる。

JRの乗車券を旅行会社で購入することは少なくなったと思うが、乗車券類委託発売規程は、乗車券類委託販売規則としてJRに引き継がれている。2011年のJR東日本の規則の条文構成は、ほぼ1965年規程を踏襲している。別表第1は省略されているが、乗車券類委託販売基準規程第6条に営業所の駅名小印の略号が示されており、委託業者はJTBを筆頭に69社にのぼる(1965年当時の7社から、全日本観光、全日本観光、日本交通観光社の名前が消えている)。69社には、旅行会社やJRバス各社に加え、西武鉄道土佐くろしお鉄道のと鉄道松浦鉄道伊豆箱根鉄道鉄道事業者5社が名を連ねている。JRとの接続駅でのJR乗車券の代行発売だろうか。

追記(5月22日):コメントを受けて受託業者の推移を調べてみた。1985年から2011年は、乗車券類委託販売基準規程第6条、2018年はJTB時刻表によった。時刻表は50音順なので、2011年に記載されていなかったIRいしかわ鉄道以降は順不同。記号は、Wikipediaの「マルス(システム)」を参照したが、JTBビジネストラベルソリューションズは不明。

記号 委託業者 1965 1985 1997 2011 2018
  業者数 7 33 78 69 60
(株)日本交通公社  
(株)JTB        
(株)日本旅行        
(株)日本旅行  
近畿日本ツーリスト(株)  
KC (株)KNT-CTホールディングス        
全日本観光(株)        
東武トラベル(株)    
NT (株)日本旅行東北      
東急観光(株)    
トップツアー(株)        
東武トップツアーズ(株)        
日本交通観光社(株)      
名鉄観光サービス(株)
京王観光(株)  
(株)日本観光倶楽部        
(社)全国農協観光協会        
(株)農協観光    
(株)読売旅行  
(株)南海国際旅行  
(株)トラベル日本  
(株)毎日企画センター        
(株)毎日企画サービス    
(株)朝日旅行会      
(株)朝日旅行      
(株)沖縄旅行社      
山新観光(株)  
(株)タイムス観光        
(株)日本鉄道旅行社      
東日観光(株)  
(株)京阪交通社      
西 西鉄旅行(株)  
共立観光(株)  
(株)長野旅行        
ニューワールドツーリスト中国観光(株)  
広電観光(株)      
ひろでん中国新聞旅行(株)      
山陽観光サービス(株)      
SD サンデン旅行(株)      
日本通運(株)    
日通旅行        
(株)小田急トラベルサービス    
  (株)小田急トラベル        
(株)新潟日報旅行社      
(株)新潟日報サービスネット      
(株)防長トラベルサービス        
(株)防長トラベル    
(株)交通公社トラベランド興業        
(株)交通公社トラベランド        
日旅サービス(株)    
日本旅行サービス(株)        
ジャパンアメニティトラベル(株)        
(株)京阪神ツーリスト        
(株)ツーリストサービス        
(株)KNTツーリスト        
東芝ツーリスト(株)    
北海道ツアーシステム(株)        
(株)阪急交通社    
(株)大学生協事業センター    
ジャパンツアーシステム(株)        
(株)ジャルセールス        
日本空港ビルデング(株)        
HP 羽田旅客サービス(株)      
(株)奈良交通観光社        
奈良交通(株)      
(株)中国新聞トラベルサービス        
東北ツアーズ協同組合        
山交観光(株)    
東急観光サービス(株)        
日本貨物鉄道(株)        
愛知環状鉄道(株)        
(株)中部キャラバン    
(株)朝日旅行会(大阪)        
(株)日立トラベルビューロー    
NECプロサポート(株)      
NECマネジメントパートナー(株)        
芙蓉航空サービス(株)        
エムオーエアシステム(株)        
エムオーツーリスト(株)      
西武鉄道(株)      
西武トラベル        
(株)宮城交通トラベル        
宮交観光サービス(株)      
エフコープ生活協同組合        
JT ジェイアール東海ツアーズ(株)    
土佐くろしお鉄道(株)    
高千穂鉄道(株)        
JH (株)ジェイティービー北海道        
JS ジャパンツアーシステム東北(株)        
HB ジェイアールバス東北(株)    
KB ジェイアールバス関東(株)      
TB ジェイアール東海バス(株)      
NB 西日本ジェイアールバス(株)    
CB 中国ジェイアールバス(株)    
のと鉄道(株)    
(株)パシフィックツアーシステムズ        
(株)PTS      
MR 松浦鉄道(株)      
日本鋼管不動産(株)        
富士通興産(株)        
富士通トラベランス(株)      
内外航空サービス(株)      
JF ジャパンツアーシステム福島(株)        
NH (株)日本旅行北海道    
KN (株)日交観        
(株)羽後交通観光    
(株)ジェイティービー旅行サービス        
(株)遠鉄トラベル    
伊豆箱根トラベル(株)        
伊豆箱根鉄道(株)        
静鉄観光サービス(株)    
BH ビッグホリデー(株)      
(株)ヤマハトラベルサービス      
FJ (株)フジトラベルサービス      
(株)タビックスジャパン      
FE JFEライフ(株)      
CT クラブツーリズム(株)        
(株)グリーンポートエージェンシー        
SB ジェイアール四国バス(株)        
OM (株)日本旅行オーエムシートラベル      
(株)びゅうトラベルサービス      
KH (株)近畿日本ツーリスト北海道        
KK (株)近畿日本ツーリスト九州        
IR IRいしかわ鉄道(株)        
あいの風とやま鉄道(株)        
えちごトキめき鉄道(株)        
BT (株)JTBビジネストラベルソリューションズ        

*1:当時は財団法人、1963/12/01営業部門が株式会社化、2001/01/01ジェイティービーに改称

*2:現在JR西日本傘下の日本旅行

*3:同名の不動産会社があるが、設立が1967年となっているので、別会社と思われる

*4:現ジェイアールバステック