3月26日の旅規改定

昨年12月29日の記事にコメントがあったように、3月26日の旅規改定内容がJR東海のサイトに掲載された。大部分は、北海道新幹線の開業に伴うものだが、南武線支線の小田栄駅開業関連の改定が含まれている。
まだ詳しく見ていないが、北海道新幹線開業関連では、特定特急券の発売区間が追加された。またグランクラスアテンダントのサービスを行うグランクラス(A)と行わない「なすの等」のグランクラス(B)とに区分された。
小田栄駅の開業については、小田栄駅が86条2号の横浜市内に追加されたほか、71条(営業キロを定めていない区間の旅客運賃・料金の計算方)の1号に次のただし書きが挿入された。

駅と駅との中間に旅客の乗降を認めるときは、その乗降場の外方にある駅発又は着の営業キロによる。ただし、別に定める場合は、その乗降場の内方にある駅発又は着の営業キロによる。

2015年12月16日の記事にコメントがあった、小田栄駅営業キロ川崎新町駅にあわせるための措置だろう。「別に定める」は基準規程に規定されるものと思われる。
もう一つ、69条(経路特定区間)1号が次のように改定される。

大沼以遠(渡島大野仁山方面)の各駅と、森以遠(石倉桂川方面)の各駅との相互間
 東森駅経由函館本線
大沼公園駅経由函館本線

今になって気が付いたのだが、仁山駅桂川駅はともに1987年4月1日の分割民営化時に仮乗降場から昇格したが、69条1号は国鉄時代の渡島大野と石倉(大沼と森の次の一般駅)のままだった。29年ぶりに訂正されたことになる。
追記(2月26日):コメントがあったように、国鉄時代の森の隣接駅は石倉ではなく、石谷だった。この区間は、旅規が現行体系になる以前の旅客及び荷物運送規則(1952年1月1日現行)で第49条第9号に

軍川以遠(渡島大野方面)の各駅と、森以遠(石倉方面)の各駅との相互間
( 東森駅経由函館本線
(○大沼駅経由函館本線

と記載されていた(軍川は現大沼、大沼は現大沼公園)。石谷駅は、1946年4月1日に信号場から昇格したから当時はすでに駅だったのに、石倉と表示されている。「日本国有鉄道百年史」(第13巻、p24)によると、この区間が経路特定区間に指定されたのは昭和20年6月とあるから、その時点には信号場だった桂川石谷本石倉を飛ばして、「石倉」としたのだろう。しかし1952年当時の経路特定区間第11号の

赤羽以遠(川口方面)の各駅と、日暮里以遠(上野又は北千住方面)の各駅との相互間
( 尾久駅経由東北本線
(○王子駅経由東北本線

も当時から駅として存在した「鶯谷又は三河島」ではなく、「上野又は北千住」となっており、隣接駅の表示はあまり厳密でなかったのかもしれない。この区間は、1972年9月1日まで経路特定区間として存続していたが、廃止されるまで「上野又は北千住」のままだった。民営化後の2004年3月13日に現行の第69条第2号として復活し、「鶯谷又は三河島」となった。