古江線海潟駅

(c)2011 工房Nishi
工房Nishiさんから1963年夏に撮影した海潟駅の写真の提供を受けた。東大旅研が海潟駅を出発した約2年後、当時としては珍しいカラー写真である。東大旅研が「がっかりした」という無人駅の様子が覗える。Nishi氏は次のコメントを寄せられた。

畑のなかに尋ね当てると本当に拍子抜けします。当時は無人駅を前もって知るすべはなかったように思います。

1963年10月31日の指宿枕崎線西頴娃・枕崎間の開業によって、海潟は最長片道切符の起終点の地位を枕崎に譲った。しかし1972年9月9日に海潟・国分間が開業し(海潟は海潟温泉に、古江線は大隅線に改称となった)、最長ルートが再び海潟を通過することになった。この状態は1987年3月14日の大隅線廃止まで続いた*1
宮脇俊三さんの最長片道切符旅行でも、枕崎到着の前日1978年12月19日に大隅線を通過している*2。「最長片道切符の旅」では、次のように海潟付近を描写している。

・・・こんどは、海岸沿いに北に向かうから桜島が近づいてくる。噴煙は南に流れて大隅線沿線の空を覆い、駅のホームも民家の屋根も火山灰で粉っぽい。(中略)
 写真で見る桜島の噴煙はもくもくと上空へ噴き昇っているが、今日は北風が強いからであろう、噴き出たとたんに南へ流されて砂煙のようにこちらへ向かって広がってきている。
 桜島が近づくにつれて頭上の噴煙が濃くなり、陽が翳ってきた。

工房Nishiさんの写真の背後の山は桜島だが、噴煙は見えない。東大旅研の旅行記にも桜島をバックに撮影した海潟駅の写真が掲載されているが、噴煙は見えず、その記述もない。1960年代の桜島は小康状態で、1972年以降噴火活動が活発化したようだ。

*1:大隅線が営業していたのは14年6ヶ月、白糠線上茶路・北進間の11年1ヶ月に続く短命路線であった

*2:この日で乗車券の有効期間が終了し、翌日は別に乗車券を買って完走した