50年前の最長片道切符旅行2日目

1961年7月15日に最長片道切符旅行を開始した東大旅研の4人組は西都城駅に泊まった*1。翌16日は、

西都城6:09(531)7:25隼人7:49(812)8:41栗野8:46(516)11:16川内11:50(942D)13:08出水15:44(120)17:42八代18:00(819)21:24吉松21:30(678)23:25都城

と、隣の都城まで乗車した。彼らが購入した乗車券は、このうち隼人・水俣間のルートが「鹿児島−川内−薩摩大口−水俣」のZ型ルートで、「隼人−栗野−薩摩大口−川内−水俣」のS型ルートより1.7キロ短かった。東京から海潟向けて出発してからこれに気づき、長い方のルートで乗車し、途中で乗車変更を申し出ることにした(運賃は変わらない)。しかし、

七月一六日 来る途中発見したコースの誤りを直すため、乗車券の経路変更を日豊線で車掌に申し出たが断られ、列車の待ち合わせ時間の長い出水駅で再度経路変更を申し込んだ。私達の乗車券は前述のように連続乗車券*2で名刺より一回り小さいぐらいの大きさで、裏にビッシリ一ミリ半ほどの大きさの字で経由が三〇〇字余り書き込んである。経路変更すると特殊補充券に経由を書き込まねばならぬのだが、この券はカーボンで写しを取らねばならぬので表にしかかけないし、表にはそれだけの余地がない。駅でも乗車券に関する専門家の制度係の人も規則書をあちこち見ながら困惑の体。私たちも内心悪いとは思いながらも、記念すべき切符だからと思って、「僕たちもう乗ってきてしまったんですよ。なんとか変更して下さい。」駅では「どうしようもないから支社(国鉄西部支社のこと。門司にある)に電話して聞いてみましょう。」しかし結果は同じで乗車券はそのまま、東京に帰ってから本社の審査課に報告することになった。

と、長いルートの乗車は認められたが、券面経路は変更されなかった。
この日までのルートのうち、海潟・志布志・西都城間の古江線・志布志線、栗野・薩摩大口・川内間の山野線・宮之城線は、廃止されてしまった。S型、Z型ルートは、略図を参照されたい。なお、最長片道切符ルートの変遷1961-2011の図2に1961年当時の最長ルートを示している。

*1:うち1名は遅れてスタートし志布志駅

*2:交通公社で購入したが、百数十の経由を書き込めるのは連続乗車券しかないから、東京(都区内)−海潟、最長切符、広尾−東京(都区内)の三葉の連続乗車券になってしまったという。当時鹿児島港・桜島港間の西桜島村営航路は連絡社線で、桜島港(袴越)・海潟間に国鉄バスがあったから一葉目の乗車券が発券されたのだろう