最長片道切符旅行50周年

50年前の1961年7月15日、東大旅行研究会の4人組が国鉄最長片道切符旅行を開始した。旅行記「最長切符旅行」*1の古江線海潟駅の出発の場面は次のとおりである。

七月十五日 夕日が赤々と錦江湾を照らすころ、僕達は「海潟」へ集合した。鹿児島港から船で約四〇分、眼近の桜島を眺めているうちにつく。東京からの車中、海潟はこの旅行の記念すべき出発駅だから、駅長さんと会って話をしたり、東京で購入した切符にパチンと鋏を入れてもらうつもりだった。しかし、ついてみると駅舎もなければ駅員もいない。全く拍子抜け、がっかりしながら出発した。

その行程は、「"乗り鉄"先駆者たちの足跡」の最長片道切符の旅に記しているが、24日連続して駅に泊まり(うち17日は待合室のベンチの上)、8月9日広尾線広尾駅に到着した。
東大旅研が最長片道切符を目指したのは、1960年7月の旅規改定で賃率区分が4段階(−150キロ、−500キロ、−1,000キロ、1,000キロ超)から2段階(−300キロ、300キロ超)に変更され遠距離逓減度が薄れたことに対し、日本で一番長く乗れる切符を作ってこれに抵抗しようという意図があったという。
東大旅研の最長ルートは、近藤英明氏が1961年の東大旅研最長片道切符旅行は最長ではなかった?で指摘したように、最長ではなかった。第70条特定区間内(東京大環状線)のルートは、まず「秋葉原−日暮里−田端−代々木−東京−品川」という実乗距離最長ルートを求め、券面距離最長を目指して「秋葉原−赤羽−田端−新宿」というルートを選択した。しかし、特定区間内を2回通過する、実乗距離最長ルートと同一キロのルートが存在し、「旅客及び荷物運送取扱細則」第83条(現行の「旅客営業取扱基準規程」弟109条)の規定を適用して、券面距離をより長くすることができたのである。しかし、手計算でルート探索を行ったメンバーが同一キロの別ルートや、内規の任意規定を見落としたのは、やむをえなかったと思う。

*1:『世界の旅10、日本の発見』(中央公論社1962年刊)所収。国会図書館都立中央図書館などに所蔵されている