連続乗車券の最長片道切符

工房Nishiさんから7月16日の記事にいただいたコメントに対し、新たな記事でお答えしたい。

東大旅研の旅行記は見ていないのですが、連続乗車券、第一券片のルートに疑問を感じました。「僕達は『海潟』へ集合した。鹿児島港から船で約四〇分、眼近の桜島を眺めているうちにつく。」 これは、南海郵船の鹿児島〜垂水航路では?時刻表の記載は袴腰までだと20分、垂水だと50分。文学的にも桜島へは上陸していない表現。

確かに、桜島に上陸したとも、国鉄バスに乗ったとも書かれていない。所要時間が10分合わないが、南海郵船航路で垂水に渡ったと考えるべきだろう。大昔に利用したことがある、西桜島村営航路と国鉄バスのルートにとらわれていたようだ。

それ以上に、第一券片を海潟で打ち切る大義名分が見つかりません。垂水から海潟へ折り返せば、そこで切らざるを得ない訳ですから・・・。

自動車線を経路に含む場合は、環状線一周となる駅(券面ルートでは鹿児島駅)ではなく、自動車線と鉄道との接続駅で打ち切ることができるという規定を読んだ記憶があり、連続乗車券の第1券片を海潟駅までとすることが可能だったと考えた。旅規を読み直してみたら、これが勘違いだったことがわかった。1987年JR発足時の基準規程第43条第2号は、環状線一周となる駅が自動車駅(鉄道駅と同一の駅に限る)の場合は、その前の鉄道・自動車接続駅で打ち切ることができるというものだった*1。したがって西桜島村営航路と国鉄バスのルートでは海潟で打ち切ることができず、垂水・海潟間折返しで間違いないだろう。

そもそも、一筆書き切符を、なぜ連続乗車券(の一券片)にしたのか?というのも戦略上の疑問。3枚とも回収成功しなければ、コレクションとしては完結しませんからね。

これは、7月16日の記事の注2に書いたように、発券した交通公社から「(百数十の)経由をそれだけ書きこめるのは連続乗車券以外に無いから、どうしても連続乗車券にしてくれ」といわれたためである。旅行記には、連続乗車券の第2券片(最長片道切符)の原寸大写真が掲載されているが、経由欄に「裏面へ」と記され、裏面に経由駅線名が小さな字で書かれている。補充片道乗車券の裏面には注意事項が印刷されていて、経由を書き込むスペースがなかったためだろう*2
ところで、4人組はこの最長片道切符旅行を実行する前に、連続乗車券を使用して有効日数を延ばすことを考えていた。1961年4月6日の運賃値上げの前日、4月19日通用開始の連続乗車券で第2券片が北郷・広尾間の最長片道切符を購入した。もともと駅の構内から出ないつもりだったので、通用期間ぎりぎりの7月3日に旅行を開始し継続乗車船で乗りとおす計画だったのである。ところが、4月13日に古江線古江・海潟間が開業し、北郷志布志間よりも海潟・志布志間の方が距離が長くなってしまった。そこで旧運賃の旅行をあきらめ、購入した乗車券を払い戻した。こんな経緯があったので、今回は通用期間を延ばす必要はないが、改めて購入した最長片道切符が連続乗車券として発券されたことに抵抗はなかったのかもしれない。

*1:1961年当時の「旅客及び荷物営業細則」にこの規定があっかどうかわからない

*2:宮脇さんの最長片道切符は補充片道乗車券だが、裏面の注意事項を無視して経由が上書きされている。経由を別紙に書くようになったのは、JRになってからのようだ