駅名表記の揺れ−龍と竜

「ケ」と「ヶ」に続いて駅名の表記に使用される漢字の旧字体新字体の話。1946年国語審議会が当用漢字を制定、正字体に代えて略字体を正式な字体として採用した。さらに1949年4月28日当用漢字字体表が制定され、内閣から告示された。この告示は内閣訓令によって

今後、各官庁においては、この表によつて漢字を使用するとともに、広く各方面にその使用を勧めて、当用漢字字体表制定の趣旨の徹底するように努めることを希望する。

とされ、国鉄はその後、横濱、金澤、廣島などの駅名を横浜、金沢、広島に改めた。交通公社の時刻表復刻版によると、1950年10月号までは旧字体、1952年5月号以降は新字体になっており、この間に一斉変更したものと思われる。国鉄の駅名改称は公示されていたが、旧字体から新字体への変更は対象になっていないようで、これらの公示はない。
「龍」から「竜」への変化も当用漢字の字体変更によるものだが、「浜」などに比べるとかなり複雑である。時刻表復刻版で中部天竜駅の表記*1を調べると、

索引地図 本文 参考
1940/10-42/11 濱・澤・廣
1944/12-49/09 濱・澤・廣
1950/10 濱・澤・廣
1952/05-56/12 浜・沢・広
1961/10- 浜・沢・広

と、索引地図と本文の表記が異なっている。索引地図は、龍→竜→龍→竜と変化し、「竜」はすでに1944年から索引地図に使われている。本文は、1949年まで「龍」、1950年以降「竜」で、横浜などの変更よりも早い。
「龍」から「竜」への字体変更は、1946年の当用漢字の制定時ではなく、1954年3月15日国語審議会が勧告した当用漢字補正案による。28字削除の中に「龍」が、28字追加の中に「竜」が入っていた。「停車場変遷大事典」(JTB、1998)は、第I巻、p50に

※この時点で龍の字を含んでいた国鉄の駅名は、竜の字に改められた模様。

と記載しているが、これ以降も「天龍」は国鉄公示に使われていた。
昭和30(1955)年11月8日日本国有鉄道公示第375号

飯田線佐久間・大嵐間の線路付替に伴い、次の通り、停車場の廃止及び新設を行い、同線豊橋・辰野間の営業キロ程を改正する。

に、中部天龍駅と天龍峡駅のキロ程が記載されている。昭和33(1958)年11月7日日本国有鉄道公示第400号には

昭和33年11月8日がら西天龍線中部天龍−中部駅口−佐久間ダム間において、次の各号によつて一般乗合旅客自動車運送事業を開始する。但し、運行期日は、中部地方自動車事務所長が定める。

とある。その後も1962年まで、東海道本線天龍川駅や国鉄バス天龍線など国鉄公示は「龍」を使っている。国鉄公示に「天竜」と記載されたのは、昭和38(1963)年4月3日日本国有鉄道公示第175号

昭和38年4月5日から東天竜線門原・天春橋間において、次の各号によつて一般乗合旅客自動車運送事業を開始する。

が最初ではないか。
このように、駅名の「龍」が「竜」に変わった時期は、時刻表では1954年の当用漢字補正より前、国鉄公示ではそれ以降となっていて、よくわからない。
さらに、現在も「龍」を使用している駅が、龍岡城JR東日本小海線)、龍王峡(野岩鉄道)、龍安寺京福北野線)と3駅ある(「竜」は、16駅)。駅名よりも自治体名のほうが公的な度合いが強いはずだが、当用漢字使用の規制は駅名よりも緩かった。現時点で「龍」は龍ケ崎市、長野県天龍村、鹿児島県龍郷町が、「竜」は北海道雨竜町北竜町滋賀県竜王町が使用していて3対3、駅名の3対16よりも「龍」の比率が高い。
とくに龍ケ崎市は、1954年3月20日龍ケ崎町が6村を編入して市制施行したが、国語審議会が3月15日当用漢字から「龍」を削り「竜」を追加した5日後にもかかわらず、町時代の「龍」を踏襲した。一方、関東鉄道竜ヶ崎線(当時は鹿島参宮鉄道)の龍ヶ崎駅は竜ヶ崎に改称した。今になって、市内に市名を冠した駅がないといって、佐貫駅を「龍ケ崎市」駅に改称しようとしている*2
2015年5月23日の記事で書いたように「市駅」命名のルール(「*市」駅−駅名接頭・接尾語考(1)参照)を逸脱している。また、関東鉄道龍ケ崎市と竜ヶ崎を結ぶことになり、なんとも紛らわしい。佐貫駅を改称するなら、最近流行の市名を冠した「龍ケ崎佐貫」あたりだろう。

*1:天竜峡天竜川も同じ

*2:2017年4月の消費税増税に合わせて実施する予定だったが、延期により先送り