国有鉄道線路名称の起源

久々の[JNR]エントリーだが、「日本国有鉄道」の時代ではなく、今から119年前、英語の略称でいえば、IJGR(Imperial Japan Governmrnt Railways)時代の話である。
1909(明治42)年10月13日、鉄道院は「国有鉄道線路名称」を公示した。1906-07年の第一次国有化が完了し、従来からの官設鉄道と買収した17主要私鉄の路線を、部(大区分)・線(小区分)の2段階呼称方式で体系化し、記載した。
しかし、「日本国有鉄道百年史」第4巻によると、それ以前に「明治28年2月23日鉄第366号(局長達)で、全国の官設鉄道の線路名称を統一し、創業以来はじめて各線の線路名称が定められた」とある。

来ル二十八年度ヨリ従来ノ営業区間ヲ廃シ更ニ左ノ通相定メ候条此旨相達候也
一 東海道線
 旧東京神戸間、大船横須賀間、大府武豊間及ヒ米原敦賀間(但シ敦賀ステーション迄)ヲ合併シテ本線ト称ス
一 信越
 旧高崎直江津間ヲ本線ト称ス
一 奥羽線
 福島青森間ヲ本線ト称ス
一 北陸線
 敦賀富山間ヲ本線ト称ス(但シ敦賀ステーションヲ除ク)

1895(明治28)年当時、奥羽線北陸線は未開業だった。1892年6月21日公布の「鉄道敷設法」第2条に予定線名として記載され、建設が開始されていたので取り込んだのだろう。
東海道線はのちの部に相当する大区分の名称である。横須賀線武豊線などという線名はまだなかった。「旧東京神戸間」などとあるのは、従来「東京神戸間鉄道」と呼ばれていたことを指すのだろう。東京駅開業前なのに新橋ではなく東京となっているのは、駅名ではなく、市名を表示しているのだろうか。ちなみに1906年の「国有鉄道線路名称」の東海道本線は、次のとおり、新橋神戸間である。

東海道線 東海道本線 新橋神戸間、神奈川横濱程ヶ谷間及貨物支線
横須賀線 大船横須賀間
武豊線 大府武豊
大津線 馬場大津間
京都線 京都園部間
西成線 大阪天保山