連絡運輸規則の選択乗車

旅客連絡運輸規則第77条(1960年当時は第55条)は、次のとおり選択乗車の規定である。

(乗車区間の選択)
第77条 次の各号の旅客は、当該各号に掲げる区間のうち、いずれか一方を選択して乗車することができる。

第1号は、旅規第69条の経路特定区間と第157条の選択乗車区間の経路選択、第2号は大都市近郊区間内の経路選択の規定だが、以前は第3号に次の規定があった。

旅客鉄道会社線藤沢駅接続小田急電鉄株式会社線片瀬江ノ島又は江ノ島電鉄株式会社線江ノ島着の普通乗車券を所持する旅客
小田急電鉄株式会社線の藤沢・片瀬江ノ島間又は江ノ島電鉄株式会社線の藤沢・江ノ島

これが最後まで連規に残っていた、国鉄と連絡会社線相互間または国鉄の連絡乗車券による連絡会社線相互間の選択乗車である。一般の選択乗車は双方向に認められるが、この例では片瀬江ノ島江ノ島着の一方向だけである。10月27日の記事で長澤規矩也国鉄を叱る」を引用したが、引用箇所の続きに、その理由が書かれている。

もっともふしぎなのは、藤沢乗換え、小田急片瀬江ノ島または鵠沼海岸へは、国鉄線の藤沢経由江ノ島ゆきの切符で乗ってもよいが、往復乗車券の復片では、江ノ島鎌倉観光江ノ島からでないと通用しないということで、これは、もともと、江ノ島ゆきは江ノ島鎌倉観光線の駅との連絡であるからで、往片なら、乗車券がそのまま小田急に残り、江ノ島鎌倉観光に対して清算*1の要求ができるが、復片は国鉄に行って、小田急に証拠が残らないかららしい。小田急片瀬江ノ島ゆきの往復で江ノ電の江の島に行っても同じこと。

国鉄との連絡乗車券による私鉄間の選択乗車を認めた理由はよくわからない。常に小田急のほうが運賃が安かっただろうから、江ノ電は一方的に損をしていたのではないだろうか。どのように精算していたのだろうか。
一方、横浜・桜木町間のような国鉄と連絡会社線相互間の選択乗車は、戦時中に運賃プール制から始まったらしい。ちょっと長いが国鉄百年史から引用する(第10巻、pp877-888)。

並行する営業区間をもつ連絡運輸機関間で、原則としてその区間の運賃が同額であり、かつ両端駅が共同使用駅の場合には旅客運賃をプール制にし、共通乗車券制または旅客の選択乗車に任せ、関係運輸機関は特別の実績調査によりその運輸量に応じた運賃割賦額を収得する方式が運賃プール制であって、旅客に利便であると同時に運輸機関も取扱いが能率化される効果があった。このため、戦時体制化の輸送能率向上または交通調整の目的で各運輸機関相互間に推進された。すなわち、昭和16年8月15日から高松・屋島・琴平相互間の普通および定期旅客について、国鉄線と香川県下の鉄道・軌道との間に実施され、続いて翌17年には横浜・桜木町相互間の普通および定期旅客について国鉄線と東京急行電鉄線間、名古屋・山田相互間の普通および定期旅客について国鉄線と近畿日本鉄道線間において、いずれも同年4月1日から実施された。これらのうち近畿日本鉄道線との間は昭和22年7月31日限り廃止された。
なお、運賃プール制ではないが、特定の区間などで国鉄と連絡社線相互間の乗車区間選択、または国鉄と連絡社線相互間の接続駅選択の取扱いが推し進められ、昭和17年7月1日施行の改正連絡運輸規則で規定実施されたものは、国鉄線小川町・寄居間と東武鉄道小川町・寄居間など十数箇所の多数に及んだ。

国鉄を叱る」に書かれている1960年当時の選択乗車区間のうち、国鉄と東急の横浜・桜木町間は、根岸線桜木町磯子間が開業した1964年に廃止されたものと思われる。小川町・寄居間は、1970年代初めまでは存続していたと思うがいつ廃止されたかよくわからない。

*1:原文のまま