前記事で書いたように宮脇俊三氏と種村直樹氏の最長片道切符の発行箇所は、それぞれ(交)*1渋谷駅旅セと蒲田駅旅セである。旅行センターは、日本国有鉄道百年史(Vol.13、pp144-145)によると「販売促進体制の一環として、旅客の利便を増進し、かつ、積極的に旅行需要を開拓することを目的として」設けられた。
旅行需要の質的変化に伴い、「出発から帰着までの一貫した総合旅行商品」を同一の場所で提供する販売機構が必要となり、また駅業務の合理化・近代化に伴い営業拠点駅がブロック内の中小駅の営業活動を補完し、旅客需要の開発に必要な渉外活動の拠点としての機能をもつために、
国鉄と国鉄の指定旅行業者(提携業者)とが、それぞれの専門的機能を生かしながら、一体的運営により、総合旅行商品の提供と広域的営業活動を行なう拠点として、旅行センターを開設することとなり、その第1号として、昭和43年10月*2名古屋駅に旅行センターを開設したのである。
昭和43年11月22日付国鉄公示第443号は、乗車券類委託販売規則の一部改正の公示である。
乗車券類委託販売規則(昭和29年9月日本国有鉄道公示第262号)の一部を次のように改正し、昭和43年10月1日から適用する。
昭和43年11月22日
日本国有鉄道総裁 石田 禮助
別表第1株式会社日本交通公社の部日本交通公社名古屋駅内営業所の行を次のように改める*3。
日本交通公社名古屋駅旅行センター 名古屋駅内 名古屋駅 各種乗車券類(ただし、定期乗車券及び定期手回り品切符を除く。) 日本交通公社名古屋駅内営業所 名古屋駅内 名古屋駅 定期乗車券及び定期手回り品切符
と、交通公社名古屋駅構内営業所の機能を分離して、名古屋駅旅行センターが設置されたようだ。
国鉄百年史によると、旅行センターは、A、B、Cの3タイプがあった。Aは大都市および地方の主要都市の拠点駅に設置され、国鉄の乗車券類・宿泊券・船車券等の発売業務は提携業者が行ない、Bは、地方の主要都市の拠点駅に設置され、国鉄の乗車券類の発売業務は国鉄が、宿泊券・船車券や国鉄一部の乗車券類の発売業務は提携業者が行なった。Cは、「営業体制近代化による中小駅の簡素化に関連して整備されてきたため、旅行業者との提携は行なわず、もっぱら、国鉄職員による渉外活動を行な」った。
なぜ渋谷駅と蒲田駅の旅行センターの所属が交通公社と国鉄に分かれていたのか疑問だったが、これで解決した。交通公社渋谷駅旅行センターはタイプAとして設置され、国鉄が乗車券の発行を行った蒲田駅旅行センターは、おそらく鶴見駅と同じCタイプだったのだろう。前記事で植村氏の最長片道切符が旅客営業取扱基準規程の第27条「駅長において特に必要と認めたとき」を適用して発行されたと書いたのは間違いだった。
昭和48(1973)年3月末までにAタイプは名古屋駅など57か所、Bは酒田駅など6か所、Cは鶴見駅など109か所に設置された。乗車券類委託販売規則の改正公示によると、名古屋駅以降のAタイプ旅行センター設置駅は次のとおりである。
設置日 | 提携業者 | 駅 |
1969/04/01 | 日本交通公社 | 京都駅 |
日本旅行 | 三ノ宮駅 | |
1969/05/01 | 日本交通公社 | 広島駅 |
日本旅行 | 下関駅 | |
1969/07/01 | 日本交通公社 | 新潟駅 |
1969/09/25 | 日本交通公社 | 東京駅 |
日本交通公社 | 新宿駅 | |
1969/12/10 | 日本旅行 | 吉祥寺駅 |
1970/03/15 | 日本交通公社 | 大阪駅 |
1970/04/01 | 日本旅行 | 岐阜駅 |
1970/04/05 | 日本旅行 | 上野駅 |
日本交通公社 | 横浜駅 | |
1970/06/01 | 日本交通公社 | 水戸駅 |
1970/06/16 | 日本交通公社 | 博多駅 |
1970/07/01 | 日本旅行 | 豊橋駅 |
1970/08/01 | 日本旅行 | 長岡駅 |
1970/11/15 | 日本旅行 | 青森駅 |
1970/12/20 | 日本旅行 | 山形駅 |
日本旅行 | 大宮駅 | |
1971/01/22 | 日本交通公社 | 札幌駅 |
会計監査院の昭和58年度決算検査報告に興味深い記載があった。
札幌駅ほか23駅の日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)の旅行センターにおいて、国鉄職員の営業活動による乗車券類を提携業者の旅行センターに発売させ、これに係る委託発売手数料約2億6153万円を国鉄から提携業者に支払っており、不経済となっていた。
23駅は、札幌、山形、新潟、長岡、水戸、千葉、小山、長野、浜松、京都、大阪、三ノ宮、姫路、天王寺、和歌山、岡山、福山、広島、下関、呉、徳山、岩国、小倉、博多である。上表で示した初期の旅行センター設置駅がほとんど含まれている。
報告書には、
このような事態を生じたのは、国鉄では47年に定めた「旅行センターの設置等について」(昭和47年旅営第400号通達)により、国鉄の旅行センターで乗車券類の発売を行わず、これを提携業者の旅行センターにゆだねることとしていたのを、51年に定めた「旅行センターの業務の運営等について」(昭和51年旅営第417号通達)により国鉄の旅行センターでも乗車券類を発売できることとした*4が、国鉄の旅行センターに常備する乗車券類の範囲に関する取扱い及び船車券等とあわせて乗車券類の申込みを受けた場合の取扱いを明確にしていなかったこと、各鉄道管理局に対する本社の指導が十分でなかったことなどによるものと認められる。
とある。
日本国有鉄道年表というウェブページの昭和62年2月(鉄道編)に、もう一つ興味ある記事があった。
国鉄では、全国主要八駅の旅行センターを4月1日以降、2段階に分けて直営化することで、JTB側と合意。 2/26
札幌・東京・横浜・大阪・高松・博多の6駅は、3月31日仙台・名古屋両駅は5月31日で共同運営を取止め。
民営化によって、旅行センターはJR東日本のビュープラザ、JR西日本のTisなどに変わった。国鉄監修「JTB時刻表」に代って、弘済出版社(現在の交通新聞社)発行の時刻表が「JR時刻表」となるなど、国鉄とJTBの蜜月は民営化で終了した。