市代表駅・町村代表駅更新

データルームの市名と駅名の関係(市代表駅)及び町村名と駅名の関係(町村代表駅)を更新した。読者からメールで判定基準が統一されていないことと、誤記の指摘を受け、全面的に見直した。

このページは、2004年9月、「市代表駅(町村代表駅)」として掲載してからもう15年になる。2010年10月に「市名と駅名の関係(町村名と駅名の関係)」をサブタイトルとして追加、2011年3月にこれを逆転し、現在のタイトルにした。背景は、平成の大合併が進行し、自治体名と一致していた駅名が激減する中、「自治体名の一部または全部を含む」駅名を優先しようとしたこと。その結果、当初の市代表駅は、JTB時刻表の市代表駅とほぼ一致していたが、大きく乖離することとなった。

今回、この基準が不徹底であるとの指摘を受けた。この基準によれば、糸島市は糸島高校前に、那覇市那覇空港になる。そこで、選定基準を一部変更し、D区分「駅名(自治体名)が自治体名(駅名)の一部または全部を含む」について、自治体名と駅名との関係が希薄な駅、すなわち

  • 自治体名と駅名の一部だけが共通する駅
  • 国名等の広域地名の自治体名を冠した駅
  • 施設名等との複合駅名

については、E区分(自治体名と駅名が不一致)とあわせて個別に判定することにした。E区分についても、駅の格(JR・大手私鉄の路線、接続路線の有無、優等列車の停車等)を市役所に近い駅に優先することとした。JTB時刻表の代表駅を駅の格を示すものとして参考にした。

その結果、美作市美作江見や、豊前市豊前松江は採用せず、林野と宇島のままにした。市名が誕生する前から存在していた国名駅で、駅名と市名との親和性は低い。同じ国名市の越前市筑後市は、それぞれ越前武生、筑後船小屋とD区分の駅を採用しているが、これは市名誕生後に、国名というよりも市名を冠して改称したとみるべきだろう。加賀市は、大聖寺からD区分の加賀温泉に変更した。国名駅かつ施設名駅であるが、JTB時刻表の代表駅で、市役所にも近い大聖寺よりも、優等列車の停車が多く、市名を冠していることを優先した。

また、糸島+高校+前や那覇+空港と分割できない、施設名が固有名詞である駅も採用しなかった。この見直しの結果、釧路町は、釧路湿原からもとの別保にもどした。また、自治体名と駅名の一部だけが共通する駅では、武蔵野市の武蔵境を駅の格が高いといえる吉祥寺にもどした。

追記:(7月24日)
コメントにあったようにNさんから、主として消滅町村の代表駅に関する追加の指摘を受け、本日更新した。
本文に記したように、このページは2004年9月、「市代表駅(町村代表駅)」として開設した。開設当時は現存自治体のみを記載していたが、2005年9月の改訂で、2004年4月以降に消滅した自治体を記載、さらに2010年9月の改訂で、平成の大合併の開始前日の1999年3月31日に遡って、それ以降消滅した市の代表駅を記載するとともに、自治体名と代表駅名の関係推移表を掲載した。
このように、とくに2004年9月以前の消滅自治体については、2010年に調査したものだったので、旧自治体の境界がはっきりせず、代表駅の特定に苦労したことを記憶している。今回指摘を受けた誤記や漏れは、ほとんどがこの時期のものであった。とはいえ、天間林村(青森)や三加茂町(徳島)などのA区分や、松山町(宮城)などB区分の自治体を見逃していたのでは言い訳にならない。
指摘を受けてあらためて認識したのは、町村であっても区分A(町村名=駅名)の駅がけっこうあったことである。1999年3月31日現在の区分Aの町村は 677あった。市の80.8%には及ばないが、駅がある町村の52.7%と過半を占めていた。平成の大合併を経て区分A町村は256まで激減したが、現在も駅がある514町村中49.8%とわずかに50%を割っただけである。
今回指摘を受けた中で、阿仁町(秋田)の奥阿仁と高崎町(宮崎)の東高崎のC区分の方角接頭語駅は採用せず、それぞれD区分であるが町の中心地にある阿仁合*1高崎新田のままとした。方角接頭語は中心地にある駅との位置関係を示すものである。この中心駅は、接頭語を冠しないか、国名等の接頭語を冠するのが一般的である。このような中心駅が存在しない場合は、これに代わるD区分の中心駅を採用することとし、凡例の判定基準を変更した。前回の更新時に由布市について東由布を採用せず、由布院*2のままとしたことを踏襲している。そのとき判定基準を訂正すべきであったが、漏れてしまった。
また、南陽市南陽市役所について、施設名であるので赤湯に戻したらという指摘があったが、市役所はまさに市そのものであり、「市名と駅名の関係」という観点から変更しなかった。

追記2:(7月25日)
誤記の訂正漏れの指摘を受け、本日再更新した。

*1:1955年4月1日大阿仁村と合併し阿仁町になる前の町名

*2:1955年2月1日湯平村と合併し湯布院町となる前の町名