日本国有鉄道60年

60年前の1949(昭和24)年6月1日は、公共企業体としての日本国有鉄道が発足した日である。それまでは、運輸省現業部門である鉄道総局であった。郵政公社になる前の郵政省直轄の郵便事業と同じ形態である。
この日は、国鉄公示第1号から第43号までが公示された。第1号を紹介する。

日本國有鉄道公示第一号
日本國有鉄道の旅客及び物品の運送等に関する諸規程を次のように定め、昭和二十四年六月一日から適用する。
 昭和二十四年六月一日
 日本國有鉄道総裁 下山 定則
次の上欄に掲げる從前の告示は、それぞれ、下欄に掲げる日本國有鉄道公示とする。
前項の日本國有鉄道公示中「運輸省」及び「運輸省鉄道総局」を「日本國有鉄道」に、「省」を「國鉄」に、「省線」を「國鉄線」に、「國営自動車」を「國鉄自動車」に改める。

このあとに「貨物運送規則」から始まる37の旧諸規程が、日本國有鉄道公示第2号から第38号までの規程に読みかえられている。ちなみに、昭和17年運輪省告示第26号の「旅客及荷物運送規則」は昭和24年日本國有鉄道公示第15号の「旅客及荷物運送規則」となった。
また、国鉄公示第39号も、

昭和二十四年運輸省令第十五号を以て廃止せられた從前の昭和十八年運輸通信省令第三十二号(帝國鉄道会計ニ属スル歳入中証券ヲ以テ納付シ得ル歳入ノ種目ニ関スル件)は、昭和二十四年日本國有鉄道公示第四十号(日本國有鉄道の歳入中証券を以て納付しうる歳入の種目について)とする。
前項の規程中「帝國鉄道会計」を「日本國有鉄道」に、「出納官吏(出納員ヲ含ム)」を「出納職員」に、「省」を「日本國有鉄道」に改める。
 昭和二十四年六月一日
 日本國有鉄道総裁 下山 定則

と、従来の運輸省令を国鉄公示40号に読み替えるというものである。したがって、日本国有鉄道公示第2号から第38号と第40号の文書はない。
第42号として公示された「日本國有鉄道組織規程」が最初の自前の規程である。地方組織として、東京、名古屋、大阪、広島、四国、門司、新潟、仙台、札幌の9鉄道局(鉄道管理局ではない)が設置され、各鉄道局には下部組織として管理部が置かれた。例えば、東京鉄道局の下部組織は、新橋、八王子、上野、宇都宮、水戸、高崎、千葉の7管理部である。
各鉄道局の所管区域は公示第43号で定められた。三島はそれぞれ1局がカバーした(青函航路は札幌、宇高航路と仁堀航路は四国。関門トンネルは門司、関門航路は広島)。本州では新潟鉄道局の所管範囲が広く、傘下に山形、秋田、長野、新津の管理部を設置、その所管区域は、五能線岩館、奥羽本線陣場花輪線湯瀬(現湯瀬温泉)、横黒線(現北上線)黒沢、陸羽東線堺田仙山線山寺、奧羽本線米沢、米坂線越後金丸磐越西線豊実上越線大沢、信越本線御代田、小海線野辺山、篠ノ井線広丘、北陸本線市振まで及んでいた。
各管理部別の所管範囲が規定されたのは、6月25日付の公示第60号においてであった。