大正時代の環状線の運賃計算

国鉄ではじめて制定された旅規は、大正9(1920)年10月鉄道省告示第99号の「国有鉄道旅客及荷物運送規則」である。それまでの「旅客運賃及び料金規程」、「乗車券並乗車船券通用期間」等の単行規程を整理統合し、一本化した。「国有鉄道旅客及荷物運送取扱細則」(同年12月達727号)とあわせて大正10(1921)年1月11日施行された*1
当時の旅規(大正11年3月21日改訂再販)を入手した。興味深い条項が多々ある。
乗車券のルールのうち、片道乗車券の発売要件、運賃の通算・打切り、途中下車の可否が基本的な条項だろう。遠距離逓減運賃のもとでは、長距離区間の乗車券を購入して、途中下車を繰り返したほうが、区間ごとに個別に購入するよりも、安上がりである。日本のように、経路が重複しない限り、環状線一周ルートやはなはだしい迂回ルートにも片道乗車券が発売され、その距離が通算されるというのは、かなり特殊な例である。外国で最長片道切符旅行の話は聞いたことがない。
この片道乗車券のルールは、必ずしも当初からあったものではないらしい。前記の旅規第13条には、環状線を3/4以上迂回乗車するときは距離(当時はマイル制)の通算を打ち切るという規定(原文は旧漢字・カタカナの縦書き。濁点、句読点、項番号なし)があった。

十三条 鉄道の旅客運賃計算の場合に於ける鉄道哩程は、鉄道省所管線路の連続する限り之を通算す。但し旅客が環状線を四分の三(哩未満は一哩に切上ぐ)以上迂回乗車する場合に於いては、其の四分の三を超過する部分は連続せず、他は連続せるものと看做す。
2 環状線の一部が他の環状線の一部となり二箇以上連続する場合に於いて旅客が其の外郭の一部と共通部分とを通し各箇の環状線に対し四分の三以上に亙り迂回乗車するときは、共通部分を大なるものに属せしめ其の大なる環状線に直接連続せるものは環状線に非ざるものと看做す。
3 環状線の一部が他の環状線の一部となり二箇以上連続せる環状線の外郭を旅客が各箇に付四分の三以上に亙り迂回乗車するときは、其の外郭を以て一箇の環状線と看做す。

一読しただけではわかりにくいが、旅規には、質疑応答として実例が記載されている。まずは、第1項の例。
例1 城崎−和田山−姫路−神崎(現尼崎)−福知山−綾部

(1)乗車哩189.6
(2)環状線176.6和田山−姫路−神崎−福知山−和田山
(3)同3/4133.0(2)x3/4
(4)環状線乗車哩157.7和田山−姫路−神崎−福知山
(5)打切り哩24.7(4)-(3)
(6)通算哩164.9(1)-(5)
運賃(1哩未満の端数は切り上げ):
打切り分(5)25.00円63銭
通算分(6)165.03円41銭
  4円04銭
より複雑な第2、3項の例は稿を改めて書く。
なお、当時は以下のとおり、7段階の遠距離逓減制運賃であった。また、途中下車回数も制限されていた。
距離賃率通用期間途中下車
50哩以下2.5銭/哩2日1回
50哩超2.1銭/哩2日2回
100哩超1.7銭/哩3日2回
200哩超1.4銭/哩4日2回
300哩超1.2銭/哩5日3回
400哩超1.1銭/哩6日3回
500哩超1.0銭/哩100哩ごとに1日700哩まで3回、
1200哩まで4回、
1201哩以上5回

*1:日本国有鉄道百年史」第8巻、p4