荷物営業規則

国鉄の荷物運送は、鉄道開業とともに始まった。当時の荷物運送規程について「日本国有鉄道百年史」(第1巻、p415)は、

手回り品および手荷物の取扱いは、品川・横浜間の仮開業と同時に開始した。これに関する制度は、「鉄道列車出発時刻及賃金表」中に定められていた。6年9月15日、新橋・横浜間で開始された小荷物の制度は、「鉄道貨物運送補則」第31条に規定されていた。他方、明治7年5月大阪・神戸間で小荷物の取扱いを開始したさいには、「小包荷物運送規則」が制定された。新橋・横浜間では、明治7年11月17日、「小包荷物運送規則」11項が工部省達で定められ、12月1日から施行された。

と書いている。鉄道貨物輸送とともに開始された小荷物は、旅客運送に伴う手荷物とは、区分されていたようだ。
1920年旅客運送関連の単行規程を一本化して制定された「国有鉄道旅客及荷物運送規則」は、第3編として「手荷物、小荷物及旅客付随小荷物ニ関スル規定」を定め、これ以降荷物運送は旅規に規定されていた。旅規ポータルに掲載の旅客及び荷物運送規則(1958年10月1日施行)には荷物編も記載しているが、「国鉄旅規改訂履歴1958-1987」は旅客編だけで、荷物編の改定は省略していた。今回、旅客及び荷物営業規則から荷物編を分離して制定された荷物営業規則(1974年10月1日施行)を掲載した。おそらく国鉄が初めて「ですます体」で書いた規則だろう*1
1949年6月1日公共企業体としての日本国有鉄道の発足以降、荷物運賃制度は次のように推移した*2

施行日 手荷物 通常小荷物
1949/06/01 定額 距離制(距離500km刻み、重量10kg刻み)
1950/06/01 距離制(距離1000kmまで250km刻み、以降500km刻み。重量30kgまで5kg刻み、以降10kg刻み)
1950/06/01 定額(託送は3個まで。2,3個目は通常小荷物運賃)
1951/11/01 距離制(距離同上。重量40kgまで5kg刻み、以降10kg刻み)
1953/01/15 定額(30kg超は通常小荷物運賃) 距離制(距離500kmまで100km刻み、1000kmまで250km刻み、以降500km刻み。重量同上)
1966/03/05 定額(託送は2個まで。30kg超は通常小荷物運賃) 地帯制(都道府県別5地帯。重量10kg刻み)
1969/05/10 地帯制(都道府県別5地帯。30kgまで10kg刻み) 地帯制(都道府県別5地帯。重量10kg刻み)

1969年5月等級制からモノクラス制に移行した旅規の大改定時に、定額だった手荷物運賃に地帯制を導入した。国鉄百年史(第13巻、p165)は、その理由を次のように記述している。

旅客・手荷物の同時輸送が減少し、配達個数の増加などから旅客が携行する代わりに託送するという手荷物の特質が年々失われ、小荷物との品目の差がなくなってきたからである。

掲載した荷物営業規則は、この時点の規定である。5地帯の区分は別表3に記載されている。1985年4月20日施行の荷物営業規則改定で、地帯区分を都道府県単位から地方単位にまとめる一方、運賃区分を5地帯から12地帯に細分化した。

地方区分 都道府県/地方区分 北海道 北東北 南東北 関東 信越 中部 北陸 関西 中国 四国 北九州 南九州 沖縄
北海道 北海道 1 2 4 5 5 6 6 8 10 11 12 12 12
北東北 青森、岩手、秋田 2 1 1 2 2 3 3 4 6 7 8 9 12
南東北 宮城、山形、福島 4 1 1 1 1 2 2 3 5 6 7 8 12
関東 茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨 5 2 1 1 1 1 2 2 3 4 5 6 11
信越 新潟、長野 5 2 1 1 1 1 1 2 3 4 5 6 11
中部 岐阜、静岡、愛知、三重 6 3 2 1 1 1 1 1 2 2 3 4 9
北陸 富山、石川、福井 6 3 2 2 1 1 1 1 2 3 3 4 9
関西 滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山 8 4 3 2 2 1 1 1 1 2 2 3 7
中国 鳥取、島根、岡山、広島、山口 10 6 5 3 3 2 2 1 1 2 1 2 6
四国 徳島、香川、愛媛、高知 11 7 6 4 4 2 3 2 2 1 3 4 8
北九州 福岡、佐賀、長崎、熊本、大分 12 8 7 5 5 3 3 2 1 3 1 1 4
南九州 宮崎、鹿児島 12 9 8 6 6 4 4 3 2 4 1 1 3
沖縄 沖縄 12 12 12 11 11 9 9 7 6 8 4 3 -

荷物営業規則は、その後民営化直前の1986年10月1日に全面改定され、大幅に簡素化された現行のJR荷物営業規則に至っている。
追記(5月10日):1974年の都道府県別地帯区分にも、1985年の地方別地帯区分にも、国鉄の線路がない沖縄県が含まれているのは、おそらく、沖縄航路が国鉄の連絡運輸会社線だったためだろうと調べてみた。Wikipedia琉球海運に「1972年5月15日 - 沖縄の本土復帰にともない、鹿児島駅を接続駅とした本土 - 那覇国鉄小荷物連絡輸送を開始」と書かれている。また同日の旅客及び荷物営業規則の改正公示(国鉄公示第56号)に、別表第4号の鹿児島県の次に沖縄県を加えることが記載されていた。
国鉄時代の連絡運輸規則別表は所持していないが、1987年4月JR発足時点の別表に琉球海運株式会社航路が記載され、西鹿児島駅接続(Wikipediaの鹿児島駅と異なる)で、JR九州各駅から那覇港、平良港、石垣港*3までの片道、往復、団体乗車券が発売されていた。
2011年のJR東日本荷物営業規則の荷物地帯区分表には、沖縄は記載されていない。1997年版にもなかった。いつ琉球海運との連絡運輸が廃止され、荷物営業規則別表から沖縄が削除されたのか不明だが、1987年から1997年までの間である。

*1:同日全面改定して制定された貨物営業規則も「ですます体」

*2:国鉄百年史(第13巻、pp164-167)、時刻表復刻版、旅規改正国鉄公示などによる

*3:Wikipediaによると、1976年に鹿児島−那覇−先島航路の直行便を開設した

特殊割引乗車券発売規則

旅規ポータルの旅規アーカイブスに、特殊割引乗車券発売規則(1967年6月20日施行)を掲載した。エコノミークーポン、訪日観光クーポン、特殊観光乗車券、特殊往復乗車券、臨時割引乗車券が対象で、それまで個別の公示や達示で定めていた営業割引制度を、周遊割引を除いて一本化した。
日本国有鉄道百年史」(第13巻、pp49-52)などによるとそれぞれの概要は次の通り。
エコノミークーポン(エック)は、1966年3月の運賃改定による旅客減に対処するため設定された「発から着までの鉄道(乗車券・指定券とも)・バス・旅館等旅行に必要なあらゆるものをパックし、大胆な割引*1を取り入れ、旅客の希望地を狙った完全レディーメイド商品」である。宿泊券を伴う第1種と乗車券だけの第2種があった。まだエックの名称はなかったが、67年1月13日から3月中旬にかけて大阪、名古屋、静岡方面から新幹線利用で設定された「蔵王スキー乗車券」が第1号とされている。
訪日観光クーポンは、個人インバウンド旅行者向けの割引制度である。1964年3月18日制定の訪日観光乗車券発売規則(11コースを設定、10%の割引)を継承したもの。なお、旅規には以前から訪日観光団体の規定があった。
特殊観光乗車券と特殊往復乗車券は、1959年6月15日の営達988号「臨時特殊割引乗車券の発売について」に基づき発売された3種類の割引乗車券を引き継いだ。旅客誘致による増収のほか、出札窓口の混雑緩和、旅客運賃の逋脱防止、輸送調整の目的があった。第1種(夏季の海水浴・登山・キャンプ、冬季のスキー・スケート客を対象、5-10%割引)と第3種(閑散期の観光客を対象、10%割引)が特殊観光乗車券に、第2種(第1種の対象客以外の混雑地向け旅客を対象、10%割引)が特殊往復乗車券となった。1970年10月1日、特殊観光乗車券は特別企画乗車券に改められた。
臨時割引乗車券は、従来輸送調整の目的で対象を限定して発売していた「大会割引・総会割引・会合割引」を引き継いだもの。
この規則は特別企画乗車券の原点であるが、現在JRに特殊割引乗車券発売規則は存在せず、各種の特別企画乗車券の約款は公告されていない。JR東日本の部内規程である「特殊割引乗車券設定規程」*2は、設定の目的を

(設定の目的)
第3条 特殊割引乗車券の設定にあたつては、次の各号に定める事項を目的とし、かつ純収入を減少させないと見込まれる範囲内で設定する。
 (1) 閑散期または閑散線区等に対する積極的な営業施策の展開により、旅客の誘致を図る。
 (2) 他運輸機関との競合区間で、積極的に営業施策を展開する。
 (3) 催し物、博物館等の見物客の当社線の利用促進を図る。
 (4) 宿泊券、船車券等と組み合わせて販売することにより、旅客の誘致を図る。
2 前項に規定するほか、旅客の利用促進を図り、かつ増収が期待される場合に設定することができる。 

と定めている。青春18きっぷは、第2項に該当するのだろうか。また、特殊割引乗車券の設定については、第4条で営業部長*3に委ねている。

*1:30%以内で本社が設定。その後69年7月に20%以内のものについては鉄道管理局長または地方自動車部長が設定できるようになり、70年10月からこれを30%以内に改定した。

*2:2011年10月日本鉄道図書版による。

*3:一部は支社長

新幹線自由席特急券発売規則

旅規に自由席特急券が記載されたのは、1965年10月1日の改定時である。しかし、その前年の12月に新幹線「こだま」に自由席が登場した。本日旅規ポータルを更新し、その時単行規程として制定された新幹線自由席特急券発売規則を掲載した。1964年12月18日制定の規則と、1965年5月20日改定施行の規則を対比している。65年5月の改定では1等車にも自由席が設定され、また6条2項に「乗車券類委託発売規程に定める案内所(旅行代理店)においては、自由席特急券の一部を当該列車が始発駅を出発する日の21日前の日の11時から発売する」と規定され、クーポン用特急券の様式も記載された。しかし、5条の自由席特急券の発売箇所は、「国鉄が指定した駅」のままである。
1965年10月1日、在来線の特急にも自由席が設定され、旅規57条1項1号ロに自由席特急券

ロ 自由席特急券
 特別急行列車に乗車し、自由席(別に定める区間における特別急行列車の座席を含む。以下同じ。)を使用する旅客に対して、乗車できる列車、乗車駅及び乗車区間を指定して発売する。ただし、乗車する列車を限定して発売することがある。

と規定され、自由席特急料金は、指定席特急料金から100円を低減した額とされた(125条1号及び2号ロ)。
同時に国鉄公示539号で「第57条第1項第1号に規定する特別急行列車に対する自由席特急券の発売列車及び区間並びに同第126条に規定する特定の特別急行料金を適用する列車及び区間*1」が公示された。新幹線はすべての「こだま」の全運転区間に自由席が設定された。在来線の特急では35列車(往復)に自由席が設定されたが、「はつかり」(上野・青森間)の盛岡・青森間、「はくたか」(上野・金沢間)の富山・金沢間など末端区間だけの列車が大半である。運転された全区間にわたって自由席が設定された特急は、山陽本線などの次の10列車(往復)だけだった。

列車 運転区間 特定料金設定区間
しらさぎ 名古屋・富山 金沢・富山
あすか 名古屋・東和歌山 名古屋・東和歌山
つばめ 名古屋・熊本 小倉・熊本
はと 新大阪・博多 広島・博多
いそかぜ 大阪・宮崎 別府・宮崎
みどり 新大阪・佐世保/新大阪・大分 小倉・佐世保/小倉・大分
第1しおじ 新大阪・下関 新大阪・岡山/広島・下関
第2しおじ 新大阪・下関 新大阪・岡山/広島・下関
第1しおかぜ 新大阪・広島 新大阪・岡山/岡山・広島*2
第2しおかぜ 新大阪・広島 新大阪・倉敷/岡山・広島*3

*1:特急料金を2等300円、1等600円に特定した区間。この区間で自由席特急券を発売する場合は、特急料金の100円低減は行わなかった

*2:上りは第2しおかぜ

*3:上りは第1しおかぜ

乗車変更の差額精算

乗車変更の運賃精算は、変更区間の運賃(方向変更・経路変更は、変更区間の差額)収受が基本であるが、例外として発駅からの運賃の差額を精算する方式(差額精算・発駅計算)がある。旅規は第249条第2項第1号ロで、差額精算を適用する乗車券について、

(イ)大都市近郊区間内にある駅相互発着の乗車券で、同区間内の駅に区間変更の取扱いをするとき。
(ロ)片道の乗車区間営業キロが100キロメートル以内の普通乗車券で区間変更の取扱いをするとき。

と規定している。発売当日限り有効、下車前途無効の乗車券が対象だが、これは1976年11月6日の旅規改定以降であり、1958年10月の旅規全面改定以降次のような変遷があった。

施行日 乗越 方向変更・経路変更
1958/10/01 ・原乗車券区間と乗越区間が通算150キロメートル以内 電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の変更
1961/04/06 電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の乗越
・原乗車券区間と乗越区間が通算150キロメートル以内
同上
1966/03/05 電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の乗越
・原乗車券区間と乗越区間が通算200キロメートル以内
・地図式の乗車券(原乗車券の着駅が東京都区内/大阪市内の駅で、東京駅/大阪駅から乗越着駅まで200キロメートルをこえるときを除く)
電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の変更
・地図式の乗車券(原乗車券の着駅が東京都区内/大阪市内の駅で、東京駅/大阪駅から変更着駅までまたは変更経路が200キロメートルをこえるときを除く)
1968/10/01 電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の乗越
・発駅又は着駅が電車特定区間内の地図式の乗車券(原乗車券の着駅が東京都区内/大阪市内の駅で、東京駅/大阪駅から乗越着駅まで200キロメートルをこえるときを除く)
・原乗車券区間と乗越区間が通算200キロメートル以内
電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の変更
・発駅又は着駅が電車特定区間内の地図式の乗車券

乗越と方向・経路変更との微妙な差も気になるが、とくに注目するのは、66年3月5日の旅規改定で地図式乗車券が追加されたことである。それまで地図式乗車券の発売は、旅規第189条第4種の備考で、20キロメートル以内の区間電車特定区間内相互発着に限定されていたが、同日の改定でこの備考が削除されたため、追加されたものと思われる。
1970年10月1日に乗車変更を旅行(使用)開始の前後で区分する制度の抜本的な改定があった。乗越・方向変更・経路変更はまとめて区間変更となり、差額精算の対象は第249条第2項ロに次のように規定された。

(イ)電車特定区間内にある駅相互発着の乗車券で、同区間内の駅に区間変更の取扱いをするとき
(ロ)第189条に規定する矢印式及び地図式乗車券(これらの乗車券の発駅又は着駅が電車特定区間内にあるものに限る。)並びに同条に規定する金額式乗車券で、区間変更の取扱いをするとき。ただし、原乗車券(金額式乗車券を除く。)の着駅が特定都区市内の駅である場合で、変更着駅まで又は変更経路による着駅までの鉄道区間のキロ程が当該中心駅から200キロメートルをこえるときを除く。

とキロ基準に代わって、乗車券の券種によって取扱いを異にすることとなり、これまでの地図式に矢印式と金額式が追加された。金額式は、着駅の判定が地図式や矢印式よりも困難なのに、それまで規定されなかったのは不思議であるが、旅規第189条の片道乗車券の様式として金額式が規定されたのは、この時が初めてだったのである。「国鉄乗車券類大事典」によると、それまでは運賃改訂の前後に地図式の代用として発売されたもので、正式な様式ではなかったようだ(p108)。
これ以降は、73年4月1日電車特定区間が大都市近郊区間に変更となり、74年10月1日矢印式と地図式が削除され金額式だけとなった。75年1月1日、(ロ)が「片道乗車の区間のキロ程が40キロメートル以内の普通乗車券で、区間変更の取扱いをするとき」と変更になり、券種基準に代わってキロ基準が復活したが、当時の有効1日・下車前途無効区間であるの50キロ以内と一致しない。これが76年11月6日、50キロ以内に改定され、ようやく現行と同じ基準になった。
筆者の疑問は、券種の違いによって実際に精算額に差が生じたかどうかである。電車特定区間、キロ基準と地図式が併存していた、66年3月5日から70年10月1日までの間に、地図式乗車券が電車特定区間内以外の区間と30-50キロ超の区間で実際に発売されただろうか。「大事典」109ページの表8-2によると、首都圏では51キロ以上の列車区間は、一般式だけで地図式は発売されていない。
矢印式と金額式が追加され、キロ基準が撤廃された70年10月1日以降も、首都圏の51キロ以上の列車区間はすべて一般式である。しかし関西では異なっているかもしれない。筆者のコレクションには、70年9月6日(45.9.6)発行の飾磨港から姫路ゆきの一般式B型券(40円)と姫路から40円の矢印式券(最遠駅は太市、飾磨港、似豊野、曽根)がある。もしこれが10月1日以降も発売されていたとしたら、前者で宝殿まで乗越したときの精算額は姫路・宝殿間12.4キロの打ち切り計算で60円(計100円)、後者で東加古川まで乗越したときは差額精算で60円(計80円)となる。乗車区間は前者が18.2キロで後者が19.3キロ、16-20キロの同じキロ帯でも合算額は100円と80円と異なることになる。
もう一つは、矢印式・地図式と金額式との差異。川崎から蒲田までの乗車券で、東京駅から200キロを超える東北本線で矢吹まで乗り越すときは、地図式乗車券は東京駅からの打ち切り計算で30円+890円の計920円、金額式は差額精算で川崎*1・矢吹間の970円になる。なお川崎駅で同時に2種類の券種が発売されていたかは不明である。
追記(11月11日):キロ基準が券種基準に代わり、その後キロ基準が復活したと書いたのは、正確でなかった。70年10月以前のキロ基準は原券区間と乗越区間の通算キロであったのに、75年以降は原券の券面キロによる取扱いの差異である。乗越の差額計算は、電車特定区間(大都市近郊区間)基準を除くと、実乗車区間のキロ→実乗車キロと乗車券種の併用→乗車券種→原券の券面キロと変化した。
だから「66年3月5日から70年10月1日までの間に、地図式乗車券が電車特定区間内以外の区間と30-50キロ超の区間で実際に発売されただろうか」と書いたのは意味がなかった。この期間地図式乗車券(68年10月1日以降は電車特定区間発着に限る)は、その券面キロにかかわらず(電車特定区間相互発着でなくても、乗車区間が200キロ超の場合であっても)差額計算が適用された。
むしろ、70年10月1日以前、なぜ矢印式や、旅規に規定がなくても運賃改定の前後に発売されてた金額式乗車券に適用されなかったか、疑問である。ローカルルールがあったのかもしれない。

*1:横浜市内駅

国鉄バス関門急行線の旅規規定

9月15日の記事に興味深いコメントをいただいた。国鉄バス関門急行線が開業した1958年3月10日から、旅規の関門急行線に関する規定が施行された4月1日までは、自動車線を含む史上最長の片道乗車券が発売される可能性があったというものである。
1958年10月1日に全面改定された旅客及び荷物運送規則の68条4項に、関門急行線を通過する場合の旅客運賃計算キロ程の打切りの規定があったことは承知していた。しかし、関門急行線の開業と打切り規定の制定との間にタイムラグがあったとは、知らなかった。
関門急行線の開業は1958年3月10日の国鉄公示第76号で公示された。

昭和33年3月10日から関門急行線山口・博多間において、次の各号によつて一般乗合旅客自動車運送事業を開始する。
 昭和33年3月10日
 日本国有鉄道総裁 十河 信二
1 停車場及びキロ程(省略)
2 取扱範囲(省略)

途中の停車場は、湯田温泉小郡駅前、宇部小串通、小野田公園通、小月駅*1、門司大阪町小倉駅前通、八幡中央町、福間、呉服町であり、関門海峡を挟む区間に鉄道線との接続駅がない。関門海峡を通過する国鉄線が鉄道と自動車の2路線となり、本州から九州にわたり、再び本州に戻る1枚の乗車券が発売される可能性があった。なお1958年3月当時は紀勢本線がまだ全通していない。最後の三木里・新鹿間の開業は1959年7月15日であり、最長片道切符はこの区間国鉄バス紀南本線経由とする必要があった。
旅客運賃計算キロ程の打切り規定が旅規に制定されたのは3月26日の国鉄公示第94号で、当時の47条(鉄道の旅客運賃の計算に使用するキロ程)に第3項が追加された(4月1日施行)。

3 第1項本文または前項の規定により旅客運賃計算のキロ程の通算をする場合において、旅客運賃の計算経路が幡生・小倉間(山陽本線及び鹿児島本線経由)又は小月駅前・門司大阪町間(関門急行線経由)を通過するものについては、同項の規定にかかわらず、次の各号によつてキロ程の打ち切りを行う。
(1) 小月駅前・門司大阪町間(関門急行線経由)を通過した後、更に幡生・小倉間(山陽本線及び鹿児島本線経由)を通過する場合は、幡生又は小倉のいずれかのうち乗車方向に従った最初の駅においてキロ程の打ち切りを行う。
(2) 小月駅前・門司大阪町間(関門急行線経由)を通過して鉄道区間を乗車した後、再び同区間を通過する場合は、再び通過となる関門急行線の前後の鉄道区間のキロ程は、接続駅で打ち切りをする。
(3) 幡生・小倉間(山陽本線及び鹿児島本線経由)を通過した後、小月駅前・門司大阪町間(関門急行線経由)を通過する場合は、関門急行線の前後の鉄道区間のキロ程は、接続駅で打ち切りをする。

コメントにあるように、3月26日付鉄道公報の「通報」欄に「関門急行線を通過する場合の旅客運賃計算キロ程の打切り方について」という国鉄営業局の解説記事が掲載され、二つの例を紹介している。

(例1)吉塚から、鹿児島本線で福間、関門急行線で山口、山陰本線で京都、東海道本線山陽本線鹿児島本線で熊本までの場合は、幡生において鉄道の旅客運賃計算キロ程を打ち切る。従つて、この場合は、吉塚から幡生まで(吉塚から福間までと山口から幡生までのキロ程とは通算する。)を第1券片、幡生から熊本までを第2券片とした周遊*2とする。
(例2)京都から、東海道本線山陽本線鹿児島本線日豊本線で大分、豊肥本線で熊本、鹿児島本線で博多、関門急行線で山口、山陰本線で京都までの場合は、京都から博多までを第1券片、博多から京都までを第2券片とした周遊とする。

同年10月の旅規全面改定で、47条3項は、68条4項に移った*3。1959年8月1日、小郡駅前と小倉駅前通に代えて、小郡と小倉の各停車場が設置され、鉄道線との接続駅となり、68条4項は廃止となった。
なお、当時はまだ関門連絡船*4が運航しており、門司(山陽)下関(関門航路)門司港(鹿児島)門司と関門海峡を往復する1枚の乗車券が発売された。

*1:1959年7月11日廃止、代わりに小月町停車場を設置

*2:現在の連続乗車券。当時は回遊乗車券という名前だったはずだが

*3:表記に微妙な違いがある

*4:1964年11月1日廃止

日本国有鉄道公示

1949年6月1日から1987年3月31日まで、公共企業体として存在した日本国有鉄道が総裁名で出した公示は16,188件あり、1日平均1.17件になる。年月別の公示数の推移は次のとおり。

123456789101112月平均
19496414242513354121630.9
195019103126311729333729163231025.8
195115254033203816212040405135929.9
195225424539283136404044382843636.3
195342273936361537433936315843936.6
195425284317253347374835275441934.9
195525245641443439314235433144537.1
195628335654224243303141604848840.7
195719406838603731395443233949140.9
195827443442395636363538424847739.8
195931214354364854292766387752443.7
196034386973576053425559526866055.0
196132355598515342446643296661451.2
1962312475475047443267114499667656.3
196336447790522747348239553461751.4
196429466656524846498061285361451.2
19655942837032963966103934110082468.7
1966497012656514869637679688584070.0
196744509348493074395434505261751.4
196832335745562647296544202948340.3
196912203037532628425837155441234.3
197056287245313431546848303753444.5
197136496850253333316738305151142.6
197235638730414558236335284555346.1
197315225739232820234631151733628.0
197420125043212331399126213841534.6
197512344818171726112322292728423.7
197617323219993016232436425120.9
197713181818201810141223231119816.5
197814222919141721174013223025821.5
1979183319191716102723121019516.3
198081031341618121149145921718.1
198189232411159121511171016413.7
198291532321928157152737724320.3
198397602113219161217151521517.9
19843917442110107112318131022318.6
1985726732241811172620171525621.3
1986181536916201373653131625221.0
198725455212240.7
公示は暦年ごとに付番されていたが、1972年以降年度ごとに変更になった。そのため昭和46(1971)年は、1月から翌年3月まで15ヶ月間通して付番されており、696号まである。
年月あたりの公示数にはかなりバラツキがある。1966年に840件*1と最多を記録した。月あたりの件数が100件を超えたのは、赤字で示した4箇月。1日当たりの最多は1966年3月4日の53件、2位は1974年9月12日の51件であり、50件を超えたのはこの両日だけである。それぞれ3月5日、10月1日施行の運賃・料金の値上げがあり、旅規などが改定された*2が、公示件数が多かったのはそのためだけではない。因みに、等級制からモノクラス制に移行し、旅客営業制度史上最大の改定があった1969年5月9日の公示件数は19件しかない。
当時の公示件数が多かったのは、各種の単行規程が公示されていたからである。例えば、1966年3月4日には、162号で連絡運輸規則が改定されたのとは別に、次の個別規程*3が改定された。

名称 原規程 内容
163 連絡準急行券の取扱方 昭和30年9月公示第331号 小田急御殿場線への直通運転
164 連絡普通急行券の取扱方 昭和37年2月公示第51号 国鉄長野電鉄への直通
165 連絡準急行券及び連絡座席指定券の取扱方 昭和40年7月公示第411号 名鉄高山本線への直通
166 連絡準急行券及び座席指定券の取扱方 昭和36年1月公示第16号 南海の紀勢本線への直通

また、旅規別表で定めた国鉄バスの定期運賃を適用せず、個別に制定されていた路線も公示されていた。3月4日の公示179号で柳ケ瀬線、180号で杉津線の各規程を廃止、181号で柳ケ瀬線及び杉津線を統合した規程を新たに制定し、182号で白棚高速線、183号で阪本線の規定をそれぞれ改定している。なお181、182、183号では運賃を規定した別表について、

別表省略。ただし、関係の自動車営業所及び停車場に掲げる。

と省略している。しかし7月13日の記事で紹介した「内容省略。ただし関係の向きに配布する」と異なり、鉄道営業法第3条の

運賃其ノ他ノ運送条件ハ関係停車場ニ公告シタル後ニ非サレハ之ヲ実施スルコトヲ得ス

に合致している。旅規別表による自動車定期運賃は国鉄時代を通じて存続していたが、個別定期運賃の公示は、1968年2月28日の「園篠線(自動車)等における自動車定期旅客運賃(昭和40年6月日本国有鉄道公示第340号)の一部を次のように改正し、昭和43年3月1日から施行する」が最後である。
もう一つ件数が多いのは、各種の割引貨物運賃の公示である。「割引運賃(賃率)を定める件」や「割引運賃(賃率)の一部改正」といった公示で、1965年の計824件中152件、1966年の計840件中220件を占める。1965年1月6日公示1号は、「浜松駅発小口混載貨物に対する割引運賃を次のように定める」、7日の2号は「けい素鋼板に対する割引運賃を次のように定める」と、駅ごとまたは品目ごとに割引運賃が公示されていた。しかし1974年9月12日の「博物館資料に対する割引賃率(昭和27年5月日本国有鉄道公示第159号)の一部を次のように改正し、昭和49年10月1日から施行する」を最後に見当たらない。1964年赤字になった国鉄は、割引運賃によって小口貨物輸送需要の喚起に努めたが、トラックなどとの競合により、拠点間のコンテナ輸送など大口大量輸送への選択と集中を行い、合理化を進めていった歴史がうかがえる。
なお、公共企業体になる以前の国鉄運輸省の直轄事業で、同様の内容は運輸大臣名で「告示」されていた。日本国有鉄道の「公示」を経て、民営化後は各社の社長名の「公告」になった。3文字から2文字をとった名称の推移も興味深い。旅規等の改定公告をウェブで公開しているのはJR九州だけだが、2010年3月30日の身体障害者旅客運賃割引規則の改定公告は第17号で、年度末でも20に満たない。JR東日本の公告件数は不明だが、国鉄時代後半からさらに激減していると思われる。
追記(7月24日):国鉄バスの定期運賃と鉄道営業法は関係なかった。道路運送法12条に

一般旅客自動車運送事業者(一般乗用旅客自動車運送事業者を除く。)は、運賃及び料金並びに運送約款を営業所その他の事業所において公衆に見やすいように掲示しなければならない。

という規定があり、これに従ったものだろう。一方、割引運賃とはいえ普通周遊券や均一周遊券の運賃を約款(周遊割引乗車券発売規則)で定めず、公示しなかったのは、鉄道営業法3条の違反ではないだろうか。

*1:446号と567号の2件は欠号で、公示は842号まである

*2:74年9月12日は旅規から荷物営業規則を分離した

*3:これらの各公示は、1967年3月31日限りで廃止された

周遊割引乗車券発売基準規程

7月13日の記事は周規改訂履歴の情報源である鉄道公報の話だったが、今日は周規の改定内容について書く。今回追加した期間の改定内容を見ると、周規で定めていた契約条項を「別に定める」とした変更が散見される。例えば、普通周遊券と均一周遊券の旅客運賃は、1974年10月1日施行の改定で「別に定める」とされた。
普通周遊乗車券の運賃は、第8条第1号の

一般周遊乗車券及びワンポイント周遊乗車券の旅客運賃は、普通旅客運賃を1割引し、旅客規則第74条の2に規定するは数計算(以下「は数計算」という。)をした額とする。(後略)

が、

普通周遊乗車券及びこれと一括発売する周遊船車券の旅客運賃は別に定めるところにより、割引の旅客運賃とする。

と改定され、均一周遊券は、第20条で

一般用均一周遊乗車券(第16条第4項の規定により発売するもの*1を除く。)の旅客運賃・期間及び発地帯の国鉄線駅と自由周遊区間の入口の駅との区間の乗車船経路は、別表第6号の通りとする。

と規定していたが

第16条第1項から第3項までの規定により発売する均一周遊乗車券の旅客運賃、有効期間及び発地帯の国鉄線駅と自由周遊区間の入口の駅との区間の乗車船経路は、別に定める。

と改定された*2
旅客営業規則(旅規)に旅客営業取扱基準規程があるように、単行規程にも約款を補完する基準規程がある。周遊割引乗車券発売規則(周規)に対応するのが周遊割引乗車券発売基準規程(周基)であった。「別に定める」とは、普通周遊券の運賃規定が周規第8条から周基第9条の2に移行し*3、均一周遊券については周基第26条で「ワイド周遊券は別表第7に、ミニ周遊券は別表第7の2に掲げるとおり」と定めたことを意味する。
もっとも重要な契約条項である運賃が約款から外れた一方、運賃払戻しの手数料は周規本文に残されるという奇妙な事態になったのである。その他、それぞれの様式も最後まで周規別表に残った。
均一周遊券の運賃等は、時刻表のピンクのページに記載され、周知されていたが、普通周遊券の割引率について直後のJTB時刻表1975年3月号には記載がない。その代わり、オーダーメードの普通周遊券のモデルコースをレディーメード化し、1972年7月誕生したルート周遊券13コース(サブルート3コース、レンタカールート7コースを含む)の運賃が記載されている。
そのルート周遊券だが、周規にも周基にも全く規定されていない。「国鉄乗車券類大事典」(JTB、2004年1月刊)には

昭和47年6月30日(公示120、7月15日施行)、「周規」に基づいた通達(旅総221)で「ルート周遊券」が生まれた。

とあるが、公示120号は7月1日付の旅規の改定公示であり、通達旅総221号は鉄道公報の6月30日号にも、7月1日号にも掲載されていなかった。周遊券と称しているが、個別の通達による特別企画乗車券の先駆のようである。「周規の改定内容について書く」と言いながら、また情報源の話が多くなってしまった。
追記(7月25日):知人から、「ルート周遊乗車券の発売について(通達)」という出所不明の文書のコピーをもらった。昭和48年8月28日付旅総第332号で、

周遊割引乗車券発売規則(昭和30年1月日本国有鉄道公示第20号。以下「周遊規則」という。)に定める普通周遊乗車券の1種として、特定の観光地を周遊できるルート周遊乗車券を下記により発売する。

という、旅客局長、自動車局長と経理局長の3者連名で国鉄の各部署に送達された文書である。内容は、種別、発売箇所、効力、様式、乗車変更、払いもどし等、周規の各条項を網羅している。「普通周遊乗車券の1種として」とあるが、内容的には普通周遊券と均一周遊券の折衷版であった。例えば、普通急行(指定席・グリーン車・寝台を除く)には急行料金不要で乗車できた。また、「一部の券片の区間内については、別表に掲げるところによりその乗車回数を制限しない」という規定もあった。
附則の第2項に

この通達の施行に伴い、ルート周遊乗車券の発売について(昭和47年9月21日付旅総第467号)は、昭和48年8月31日限り廃止するほか、旧様式となるルート周遊乗車券は当分の間、訂正して使用することができる。

と書かれており、先行の通達があったことがわかる。ところが、「国鉄乗車券類大事典」に書かれていた通達旅総221号と同様、この二つの通達も鉄道公報に掲載されていない。普通周遊券、均一周遊券に次ぐ第三の周遊券を発売するのだから、本来は周規を改定して公示すべきであるのに、なぜ鉄道公報にも掲載しない通達*4で行ったのだろうか。

*1:準発地帯・発地帯間を附加して発売するもの

*2:特殊用均一周遊券(ミニ周遊券)については、70年10月1日の発売開始時から「別に定める」であった

*3:国鉄線(国鉄バスを除く)が2割引きになったのは、1984年4月20日の運賃改定時だったと思うが、この通達が記載された鉄道公報も号外であり、確認できていない

*4:昭和47年9月21日の公報には、旅客局長の荷物関連の通達が3件掲載されている。昭和48年8月28日は通達が1件も掲載されていない