日本国有鉄道公示

1949年6月1日から1987年3月31日まで、公共企業体として存在した日本国有鉄道が総裁名で出した公示は16,188件あり、1日平均1.17件になる。年月別の公示数の推移は次のとおり。

123456789101112月平均
19496414242513354121630.9
195019103126311729333729163231025.8
195115254033203816212040405135929.9
195225424539283136404044382843636.3
195342273936361537433936315843936.6
195425284317253347374835275441934.9
195525245641443439314235433144537.1
195628335654224243303141604848840.7
195719406838603731395443233949140.9
195827443442395636363538424847739.8
195931214354364854292766387752443.7
196034386973576053425559526866055.0
196132355598515342446643296661451.2
1962312475475047443267114499667656.3
196336447790522747348239553461751.4
196429466656524846498061285361451.2
19655942837032963966103934110082468.7
1966497012656514869637679688584070.0
196744509348493074395434505261751.4
196832335745562647296544202948340.3
196912203037532628425837155441234.3
197056287245313431546848303753444.5
197136496850253333316738305151142.6
197235638730414558236335284555346.1
197315225739232820234631151733628.0
197420125043212331399126213841534.6
197512344818171726112322292728423.7
197617323219993016232436425120.9
197713181818201810141223231119816.5
197814222919141721174013223025821.5
1979183319191716102723121019516.3
198081031341618121149145921718.1
198189232411159121511171016413.7
198291532321928157152737724320.3
198397602113219161217151521517.9
19843917442110107112318131022318.6
1985726732241811172620171525621.3
1986181536916201373653131625221.0
198725455212240.7
公示は暦年ごとに付番されていたが、1972年以降年度ごとに変更になった。そのため昭和46(1971)年は、1月から翌年3月まで15ヶ月間通して付番されており、696号まである。
年月あたりの公示数にはかなりバラツキがある。1966年に840件*1と最多を記録した。月あたりの件数が100件を超えたのは、赤字で示した4箇月。1日当たりの最多は1966年3月4日の53件、2位は1974年9月12日の51件であり、50件を超えたのはこの両日だけである。それぞれ3月5日、10月1日施行の運賃・料金の値上げがあり、旅規などが改定された*2が、公示件数が多かったのはそのためだけではない。因みに、等級制からモノクラス制に移行し、旅客営業制度史上最大の改定があった1969年5月9日の公示件数は19件しかない。
当時の公示件数が多かったのは、各種の単行規程が公示されていたからである。例えば、1966年3月4日には、162号で連絡運輸規則が改定されたのとは別に、次の個別規程*3が改定された。

名称 原規程 内容
163 連絡準急行券の取扱方 昭和30年9月公示第331号 小田急御殿場線への直通運転
164 連絡普通急行券の取扱方 昭和37年2月公示第51号 国鉄長野電鉄への直通
165 連絡準急行券及び連絡座席指定券の取扱方 昭和40年7月公示第411号 名鉄高山本線への直通
166 連絡準急行券及び座席指定券の取扱方 昭和36年1月公示第16号 南海の紀勢本線への直通

また、旅規別表で定めた国鉄バスの定期運賃を適用せず、個別に制定されていた路線も公示されていた。3月4日の公示179号で柳ケ瀬線、180号で杉津線の各規程を廃止、181号で柳ケ瀬線及び杉津線を統合した規程を新たに制定し、182号で白棚高速線、183号で阪本線の規定をそれぞれ改定している。なお181、182、183号では運賃を規定した別表について、

別表省略。ただし、関係の自動車営業所及び停車場に掲げる。

と省略している。しかし7月13日の記事で紹介した「内容省略。ただし関係の向きに配布する」と異なり、鉄道営業法第3条の

運賃其ノ他ノ運送条件ハ関係停車場ニ公告シタル後ニ非サレハ之ヲ実施スルコトヲ得ス

に合致している。旅規別表による自動車定期運賃は国鉄時代を通じて存続していたが、個別定期運賃の公示は、1968年2月28日の「園篠線(自動車)等における自動車定期旅客運賃(昭和40年6月日本国有鉄道公示第340号)の一部を次のように改正し、昭和43年3月1日から施行する」が最後である。
もう一つ件数が多いのは、各種の割引貨物運賃の公示である。「割引運賃(賃率)を定める件」や「割引運賃(賃率)の一部改正」といった公示で、1965年の計824件中152件、1966年の計840件中220件を占める。1965年1月6日公示1号は、「浜松駅発小口混載貨物に対する割引運賃を次のように定める」、7日の2号は「けい素鋼板に対する割引運賃を次のように定める」と、駅ごとまたは品目ごとに割引運賃が公示されていた。しかし1974年9月12日の「博物館資料に対する割引賃率(昭和27年5月日本国有鉄道公示第159号)の一部を次のように改正し、昭和49年10月1日から施行する」を最後に見当たらない。1964年赤字になった国鉄は、割引運賃によって小口貨物輸送需要の喚起に努めたが、トラックなどとの競合により、拠点間のコンテナ輸送など大口大量輸送への選択と集中を行い、合理化を進めていった歴史がうかがえる。
なお、公共企業体になる以前の国鉄運輸省の直轄事業で、同様の内容は運輸大臣名で「告示」されていた。日本国有鉄道の「公示」を経て、民営化後は各社の社長名の「公告」になった。3文字から2文字をとった名称の推移も興味深い。旅規等の改定公告をウェブで公開しているのはJR九州だけだが、2010年3月30日の身体障害者旅客運賃割引規則の改定公告は第17号で、年度末でも20に満たない。JR東日本の公告件数は不明だが、国鉄時代後半からさらに激減していると思われる。
追記(7月24日):国鉄バスの定期運賃と鉄道営業法は関係なかった。道路運送法12条に

一般旅客自動車運送事業者(一般乗用旅客自動車運送事業者を除く。)は、運賃及び料金並びに運送約款を営業所その他の事業所において公衆に見やすいように掲示しなければならない。

という規定があり、これに従ったものだろう。一方、割引運賃とはいえ普通周遊券や均一周遊券の運賃を約款(周遊割引乗車券発売規則)で定めず、公示しなかったのは、鉄道営業法3条の違反ではないだろうか。

*1:446号と567号の2件は欠号で、公示は842号まである

*2:74年9月12日は旅規から荷物営業規則を分離した

*3:これらの各公示は、1967年3月31日限りで廃止された