回遊乗車券

古書店の均一棚で昭和28(1953)年5月朝日新聞社から発行された「アサヒ相談室 旅行」という新書版を見つけた。巻末のリストによると、このシリーズ「カメラ」、「美容」、「買物」など23巻が記載され、「以下続刊」とある。戦後の混乱期を過ぎ、生活に若干ゆとりがでてきた時代が偲ばれるラインアップである。
「旅の前に」、「旅支度」に続く第3章が「切符の相談室」で、そのはじめに18ページに渡って「国鉄の切符あれこれ」という切符のルールの解説がある*1。次の構成で、旅規の条項を網羅している。

  • 通用期間
  • 片道と往復
  • 前売
  • 途中下車
  • 二等、一等、小児の運賃
  • 六歳未満の運賃
  • 運賃の計算法
  • キロ当りの運賃表
  • 特定運賃東京都区間大阪市区間の駅発着の場合
  • 安い切符の買い方
  • 回遊式で
  • 回遊と復乗
  • 環状線から支線への復乗
  • 途中にバス、汽船、私鉄がはさまる時
  • 自駅発以外乗車券
  • 異級乗車券
  • 急行券準急行
  • 特別急行
  • 寝台券
  • 特二券と特二乗船券
  • 着席券
  • 切符の払い戻し
  • 旅行を延期する場合
  • 乗車券を紛失した場合
  • 急行料金の払い戻し
  • 乗車券と手荷物

「回遊式で」の項で、東京から金沢に行く場合、信越北陸線経由で行き、米原へ出て、東海道線で東京に帰るコースを紹介し、次のように書く。

この場合、一つの環状線をめぐる回遊だから一本計算の安いキロが活用されるので、一一〇二・六キロの運賃が千二百五十円で往復を買うより三百三十円安くてすむ。
したがって時間が余裕のある限り、なるべく回遊式の切符で旅行するほうが経済だし、往復同じ線路を通らずに済むから、旅の楽しみも多い。

この「回遊」という言葉は紛らわしい。現在の連続乗車券を当時回遊乗車券といっていたからだ。次項の「回遊と復乗」には、東京から東海道線で大阪へ、関西線で名古屋に、さらに東海道線で東京に帰る行程の乗車券について、次の記述がある。

この回遊では、(図のように)東京・名古屋間を復乗していることになる。こういう場合は、運賃の一本計算は復乗のはじまるところで打切られて、名古屋から東京までの運賃が新たに計算されて加わることになる。
この回遊の切符を交通公社にたのんで、回遊乗車券にしてもらえば、復乗区間の通用期間まで合算されるから、通用期間はかなりゆったりする。

環状線から支線への復乗」には、東京−米原−東京の環状線一周に米原−京都間の往復を加えるコースについて、京都で打切るものと、東京−米原−東京の回遊運賃と米原−京都、京都−米原の特殊補充乗車券の運賃を加算するものと二つの方法があることを紹介し、運賃だけでなく通用期間も考慮して選択すべきと書く。そして

ここでちょっと特殊補充乗車券の説明を加えておく。その通用期間は最低七日間で、従ってキロ数によっては八日、九日とのびるのはいうまでもない。回遊乗車券にともなって発行されるのだが、回遊乗車券は通用日の七日前に売出されるが、特殊乗車券のほうは、通用日までさらに七日の余裕がある。つまり十四日前に発行されるわけになっている。

と続くが、ここは疑問符の連続である。まず「回遊乗車券」を連続乗車券の前身ではなく、回遊(環状線一周)の乗車券という意味で使っているようだ*2。回遊乗車券が1958年の旅規全面改正時に連続乗車券に変更になったのは、この紛らわしさを回避するためだったのだろう。
特殊補充乗車券については、1952年の旅規の第14条、乗車券の発売箇所で、自駅発売の例外として

三 乗車券所持の旅客からて、その券面の未使用区間の駅を発駅とする前途の駅に対して乗車券発売の請求があつたとき、普通乗車券の代用として特殊補充券を発売する場合

という規定だけで、通用期間の規定は見当たらない。通用期間と前売り日を混同している気がするが、そもそも当時の旅規には普通乗車券の発売日の規定がない。「通用期間は最低七日間」の記述の根拠をご存知の方、ぜひご教示願いたい。

*1:続いて「私鉄と私バス」、「船と航空券の切符」、「交通公社発行の券るい」、「切符のしまい場所」

*2:旅規制定当初3/4ルール(2010年4月13日以降の記事参照)があった頃は、環状線一周も回遊乗車券だったが、大正14年片道乗車券に統一された