電力会社の大株主

大阪市橋本市長が、関西電力大飯原発の再稼動に反対し、株主総会脱原発の株主提案を行うと報じられている。一方、東京都も東京電力に対し、経営の透明化を求める株主提案を行うそうだ。大阪市関西電力株式の8.99%を、東京都は東京電力株式の2.66%を保有し、いずれも筆頭株主である。
ここで、原発問題や電力会社の経営問題を論ずるわけではない。なぜ、地方自治体が電力会社の大株主なのかという話である。と書けば、ピンと来る方が多いと思うが、各自治体が行っていた軌道事業に関係する。その答がasahi.comの記事都バス、赤字転落も 東電無配で 26億円見込みがゼロに書かれている。

都交通局のルーツは、戦前に東京市電(後の都電)を手がけていた東京市電気局。電気供給も事業の柱だったが、戦時中の国家総動員法に基づく配電統制令で手放した。その事業などをまとめて1951年に発足したのが東電だ。
こうした経緯から、都は東電の設立当初からの大量の株を取得している。

戦前電鉄事業者の多くは、電力事業を兼営していた。自ら発電して動力源とし、余剰電力を販売したのである。東京市大阪市はこの例である。逆に電力会社が大口需要を確保するために電鉄事業に乗り出すこともあった。大正期の五大電力会社の一つ宇治川電気は、近江鉄道山陽電鉄を傘下に収めた。
東京都交通局80年史」(1992年3月刊)と「大阪市交通局百年史」(2005年4月刊)にあたって、両市の電力事業について調べてみた。
東京市電を経営していた東京市電気局は、1911(明治44)年東京市が東京鉄道を買収し発足した。東京鉄道は、1906(明治39)年東京電車鉄道、東京市街鉄道、東京電気鉄道が合併したものだが、このうち東京電気鉄道が電灯事業を行っており、東京鉄道を通じ、東京市に引き継がれた。東京市は、その後電力事業に注力し、買収時の4万灯弱から、1916(大正5)年には50万灯、1937(昭和12)年には150万灯に拡大した。しかし、東京電気鉄道から引き継いだ3火力発電所は、コストが高く、1913(大正2)年鬼怒川水力電気から受電を開始している。
東京都交通局80年史」に興味深い表が掲載されている。1933(昭和8)年5月18日の東京市の電力供給シェアである。

電灯(灯)(%)電力(kw)(%)
東京電灯5,884,07574.0404,55584.4
東京市電気局1,310,88916.557,81812.1
王子電気軌道377,6654.510,4222.2
玉川電気鉄道270,5413.45,0061.0
京王電気軌道102,1961.31,5820.3
合計7,945,366100.0479,383100.0
東京市は、その前年の1932年、荏原郡豊多摩郡北豊島郡南足立郡南葛飾郡の町村を編入し、現在の23区の範囲に拡大した(当時は35区)。これは、その時点のシェアである。東京電灯以外は、すべて当時東京市内に路線を持っていた軌道事業者である。
大阪市電は、1903(明治36)年開業した。六大都市の軌道事業で唯一、初めから市営の事業だった。当初は、大阪電燈から電力の供給を受けたが、1908(明治41)年市営の九条火力発電所を建設し、余力を工業動力に併用した。大阪電燈と「報償契約」を締結したとあるから、余剰電力を大阪電燈に販売したのだろう。同契約では、15年後の市による同社の買収を定めており、1923(大正12)年10月1日、大阪市は大阪電燈を買収、大阪市電気局に改組した。その後も、1931年九条第2発電所、1938年安治川発電所を建設し、これに加えて宇治川電気からの購入電力で、大阪市内に電力を供給した。
ところが、戦時中の電力統合政策により、発送電部門については、1939年日本発送電が設立され、主要発送電部門を統合。この時点で大阪市営の発電所も、同社に移管された。また国家総動員法に基づく配電統制令により、1942年全国に9配電会社が設立され、東京都の配電事業は関東配電に、大阪市の事業は関西配電に譲渡された。
「80年史」にも「百年史」にも記載されていないが、これらの事業譲渡は現物出資の形で行われ、その結果、東京都は関東配電の、大阪市は日本発送電と関西配電の株式を取得したのだろう。戦後、電力事業は初送電と配電が一体となった地域独占事業となり、関東配電は東京電力に、関西配電は関西電力に引き継がれた。その結果東京都は東京電力の、大阪市関西電力の大株主となったというわけだ。