続・連絡運輸乗継割引の歴史

5月13日の記事に関連して、読者から営団地下鉄と連絡各社局との乗継割引の歴史が「東京地下鉄道半蔵門線建設史(水天宮前〜押上)」に書かれているとの情報を頂いた。
図書館で借り出して調べてみると、135ページの「表30 乗継割引制度適用区間一覧」に都営との連絡運輸乗継割引は、昭和36(1961)年6月1日導入されたと書かれている。前年12月4日に都営地下鉄の1号線押上・浅草橋間が開業して半年後、接続駅が浅草だけだった時点に、早くも乗継割引制度が始まったことになる。
そのほか、国鉄とは、相互乗り入れ区間は1982年4月20日に、ノーラッチの西船橋と綾瀬(営団のみの10円引き)は1990年11月1日に実施された。また民鉄各社とは、相互乗り入れ・ノーラッチの接続駅で1984年1月25日に開始された(和光市=東武西船橋=東葉、目黒=東急、赤羽岩淵=埼玉高速、押上=東武はそれぞれの開業時に)。京成を除くツーラッチ駅では民鉄側のみの10円引きが1988年5月18日に始まり、1990年11月1日に営団も10円引いて20円引きとなった。その後京成町屋が1991年11月20日から、京成押上が2003年3月19日の開業時から実施された。
ところで、菅沼天虎の紙屑談義に、昭和33(1958)年9月26日の「地下鉄線各駅→綾瀬」の営団国鉄連絡乗車券の画像が掲載されている。券面に接続駅の表示がなく、当時の営団国鉄との接続駅、上野、神田、新橋、渋谷、池袋、御茶ノ水、東京のいずれでも乗換可能だったようだ。運賃が運賃変更のスタンプに隠されていて読めないが、最も低廉となる上野・綾瀬間の運賃に営団の均一運賃を合算したものと思われる、と書かれている。いつまで存続したのだろうか。割引こそないが、接続駅を指定しない営団都営地下鉄の乗継運賃の先駆的制度である。
7月17日に、北総鉄道・京成空港線間で新たな連絡運輸乗継割引が始まった。京成のプレスリリース別紙2末尾に参考として書かれているが、京成のアクセス特急が停車しない北総線内各駅から京成成田湯川方面へは印旛日本医大接続の連絡運輸となり、京成空港線の運賃による通算ができない。北総線内各駅と印旛日本医大間の運賃(沿線市町村との合意に基づく割引運賃)と印旛日本医大以遠の京成運賃と合算した金額から、全区間の乗車キロを京成空港線の運賃表で計算した額との差額を乗継割引として差引くという論理構成にしたようである。