最後の国鉄公示

20年前の1987年3月31日は、1949年6月発足した公共企業体日本国有鉄道の最後の日だった。この日の最後の国鉄公示を紹介する。

日本国有鉄道公示第305号
 昭和62年3月31日限り、次の自動車線の当該区間の一般乗合旅客運送事業を廃止します。
  昭和62年3月31日 
  日本国有鉄道総裁 杉浦 喬也

線 名 区 間
来内線 遠野・〆田間
摺沢線 柴宿駅前・摺沢間
坂元線 河原・坂元間
山下線 山下・東街道間
相馬海岸線 原釜・相馬今泉間
船福線 伊達葭田・岩代下田間
東大阪線 吹田・松下厨房器前間
雲芸本線 恩谷・波多間
吉田線 吉田街・民谷間
岩益本線 五味・周防大久保間
賀見畑線 下畑出会・周防片山間
君谷線 石見多田・櫨谷間

分割民営化を目前にした1987年3月、大隅線、瀬棚線、士幌線志布志線、佐賀線が廃止され、二俣線、伊勢線が第3セクター路線に転換された。
その中で国鉄最後の公示が国鉄バス路線の廃止だったのは興味深い。国鉄は日本最大のバス事業者でもあったのだ。国鉄バスの路線名は、国鉄自動車路線名称で、鉄道と同様の部・線体系で制定されていた。
JRに継承された国鉄バス路線は、当初はJR旅客会社の直営であったが、次々と子会社に移管され、2004年のJR四国を最後に全廃された。