逗子・葉山駅

1月29日の記事に転載した「京急の4駅名改称」で、

新駅名でもっとも違和感があるのは、逗子・葉山である。新逗子駅は逗子市にあり、1985年に統合される前の駅名も京浜逗子と逗子海岸で、葉山は全く関係ない。(中略)逗子・葉山にはこのような(自治体名を連称する)必然性がない。三浦半島の人口減少に悩む京急は、葉山のブランドに頼りたいのかもしれないが、逗子市に対して失礼だろう。しいて葉山の名前を使うなら、京急逗子・葉山口くらいか。

と書いた。ところが、2月6日の記事で引用した、朝日の2月1日付記事(耕論)駅名もキラキラ?で、今尾恵介氏は、

近年は特に、地名や駅名の命名に「わかりやすさ」が重視されます。京浜急行もそれを理由のひとつに掲げて駅名を公募、先頃4駅の変更を発表しました。当初は小中学生対象の公募であることから「きらきらタウン」のような駅が出現するのではと懸念していましたが、「高輪ゲートウェイ」の思いがけない「不評」が影響したのか、駅名のあり方を本気で考えたまともな改称となりました。

と、京急の駅名改称を評価していた。

逗子・葉山に違和感を感じたのは筆者だけではなく、やはり地元でも反発があるようだ。視聴していないが、3月24日 のTBSテレビ噂の東京マガジンで「15歳少女の訴え!駅名を変えないで」と報じられたという。TBSのページには

三浦半島の閑静な住宅地として有名な逗子、そして御用邸がある葉山。この二つの町の最寄り駅は新逗子駅。その駅名を、鉄道会社が変更しようとしていますが、公募された新しい駅名に、両方の町から反対の声があがっています。

としか記載されていないが、テレビ番組を抄録しているサイトJCCテレビすべてに、もう少し詳しい内容が紹介されている。新逗子駅から名付けられた新逗子通り商店街会の会長は、突然の駅名変更に困惑し、駅名が変わっても商店会名は変えない方針とのこと。また後段では、土屋武之氏のコメントもあったと記されているが、内容は記載されていない。

今尾氏も、土屋氏も、筆者が信頼しているまともな鉄道ライターだが、土屋氏が何を語ったか興味がある。

 追記(3月30日):土屋武之氏が京急の駅名改称について書いたウェブページを紹介してもらった。ネーミングの重要性を再認識させた「京急の駅名改称」という記事である。逗子・葉山駅については、

新逗子駅は1985年に京浜逗子駅と逗子海岸駅を統合して誕生した駅だが、ブランド力が高い「葉山」を付けることになった。なお、葉山町には鉄道はない。新逗子駅から葉山町の中心部までは、路線バスで10分ほどかかる。

と紹介するだけで、肯定的にも、否定的にも評価をしていない。

今回の施策において、改称対象となった駅周辺地域や自治体に対して、事前の説明があったかどうかも明らかではないが、地元にとって「寝耳に水」の改称計画であったとしたら、反発は十分に予想されるところだ。改称する4駅は、ある意味、地元の同意が得られた駅なのだということだろう。

とも記しているが、TV番組のような反発もある。

今尾恵介氏監修の「日本鉄道旅行地図帳 関東2」で駅名の沿革を調べると、旧逗子海岸駅は、1931年開業時には「湘南逗子葉山口」だった。42年に廃止後、48年に逗子海岸として復活、85年京浜逗子*1と統合、新逗子になった。「しいて葉山を使うなら京急逗子・葉山口」と書いたが、逗子市内の駅に付加するのだから、葉山口が通常の感覚だろう。

 

 

 

 

 

 

*1:1930年湘南逗子、31年湘南逗子沼間口、42年湘南逗子、63年京浜逗子という経過をたどる