1962年の阪神電鉄旅規

昨日、旅規ポータルの旅規アーカイブスに阪神電気鉄道旅客営業規則(1962年12月1日現行)を掲載した。原典は、阪神社内の業務に使用されていたとおぼしきのもの。表紙には昭和36年4月1日現行とあるが、その後の改定箇所が切り貼りで訂正されており、最終改定の施行日は、尼崎海岸線が廃止された昭和37年12月1日となっている。
全体的に国鉄の旅規に倣って構成され、急行券など阪神に適用のない条項は、東急やかつての営団の旅規と同様欠番となっている。別表5の危険品は国鉄と全く同じで、阪神には必要のない「自動車線区間」が削除されず、記載されている。国鉄との契約条件の比較では、回数券の同時使用が旅客にとって有利。国鉄の4券片までに対し、全券片を同時使用できた。一方団体運賃の割引率は、国鉄よりも低い。
1962年当時阪神は、区間制運賃を採用していた*1。また、路面電車の国道線が廃止される前で、国道線と本線*2とで、環状線を形成していた。これらが旅規でどう扱われていたか、興味深い。
区間制運賃は、区間の分割を表示した路線図が別表1に掲載され、別表2及び4に区間数による普通運賃と回数運賃が記載されている。梅田・元町間は7区間に分割されており、2012年9月18日の記事で紹介した、開業時*3の4区間に比べ細かく設定され、開業時の特定運賃がなくなった。また開業時の運賃は区間数比例だったが、遠距離逓減になっている。
別表1の注にあるように、本線系統と国道線系統*4とは別運賃体系で、両者にまたがって乗車する場合は、一部の特区区間を除きそれぞれの運賃の併算だった。したがって環状線の迂回乗車は認められず、北大阪線の各駅と東神戸駅間のみ、国道線の乗車券で本線野田・西灘間を経由する選択乗車が認められていた。
区間制運賃は普通運賃と回数運賃で、定期運賃は別表3で対キロ区間制で定められていた。左のグラフに示すように遠距離逓減度がきわめて高い。なお、比較対象の点線は、1961年4月6日改定実施の国鉄定期運賃で、2014年7月20日の記事で書いたように、国鉄運賃法の限度額に合わせるため、不規則なカーブとなっている。
昨日は、データルーム本館の更新も行った。最長片道切符のルート変遷 1961-2016では、AsaPi!氏の最長ルート変遷地図に新たに掲載された2016年3月暫定最長ルート並びに1968年5月、1971年8月及び1972年3月の最長ルートにリンクした。また、都道府県境踏破国界を越える鉄道北海道新幹線を追加、Railway News福井鉄道福井駅延伸を記載し、これをRailways of Japanに反映した。

*1:2012年6月5日の記事に書いたように、関西の大手私鉄5社は、1974年7月20日一斉に区間制から対キロ区間制に移行した

*2:当時は本線も「軌道」

*3:開業時は梅田駅の手前の出入橋がターミナル

*4:本線系統は、本線、伝法線(現阪神なんば線)、武庫川線及び北大阪線、国道線系統は国道線及び甲子園線。路面電車の北大阪線は本線系統に含まれていた