国鉄バス関門急行線の旅規規定

9月15日の記事に興味深いコメントをいただいた。国鉄バス関門急行線が開業した1958年3月10日から、旅規の関門急行線に関する規定が施行された4月1日までは、自動車線を含む史上最長の片道乗車券が発売される可能性があったというものである。
1958年10月1日に全面改定された旅客及び荷物運送規則の68条4項に、関門急行線を通過する場合の旅客運賃計算キロ程の打切りの規定があったことは承知していた。しかし、関門急行線の開業と打切り規定の制定との間にタイムラグがあったとは、知らなかった。
関門急行線の開業は1958年3月10日の国鉄公示第76号で公示された。

昭和33年3月10日から関門急行線山口・博多間において、次の各号によつて一般乗合旅客自動車運送事業を開始する。
 昭和33年3月10日
 日本国有鉄道総裁 十河 信二
1 停車場及びキロ程(省略)
2 取扱範囲(省略)

途中の停車場は、湯田温泉小郡駅前、宇部小串通、小野田公園通、小月駅*1、門司大阪町小倉駅前通、八幡中央町、福間、呉服町であり、関門海峡を挟む区間に鉄道線との接続駅がない。関門海峡を通過する国鉄線が鉄道と自動車の2路線となり、本州から九州にわたり、再び本州に戻る1枚の乗車券が発売される可能性があった。なお1958年3月当時は紀勢本線がまだ全通していない。最後の三木里・新鹿間の開業は1959年7月15日であり、最長片道切符はこの区間国鉄バス紀南本線経由とする必要があった。
旅客運賃計算キロ程の打切り規定が旅規に制定されたのは3月26日の国鉄公示第94号で、当時の47条(鉄道の旅客運賃の計算に使用するキロ程)に第3項が追加された(4月1日施行)。

3 第1項本文または前項の規定により旅客運賃計算のキロ程の通算をする場合において、旅客運賃の計算経路が幡生・小倉間(山陽本線及び鹿児島本線経由)又は小月駅前・門司大阪町間(関門急行線経由)を通過するものについては、同項の規定にかかわらず、次の各号によつてキロ程の打ち切りを行う。
(1) 小月駅前・門司大阪町間(関門急行線経由)を通過した後、更に幡生・小倉間(山陽本線及び鹿児島本線経由)を通過する場合は、幡生又は小倉のいずれかのうち乗車方向に従った最初の駅においてキロ程の打ち切りを行う。
(2) 小月駅前・門司大阪町間(関門急行線経由)を通過して鉄道区間を乗車した後、再び同区間を通過する場合は、再び通過となる関門急行線の前後の鉄道区間のキロ程は、接続駅で打ち切りをする。
(3) 幡生・小倉間(山陽本線及び鹿児島本線経由)を通過した後、小月駅前・門司大阪町間(関門急行線経由)を通過する場合は、関門急行線の前後の鉄道区間のキロ程は、接続駅で打ち切りをする。

コメントにあるように、3月26日付鉄道公報の「通報」欄に「関門急行線を通過する場合の旅客運賃計算キロ程の打切り方について」という国鉄営業局の解説記事が掲載され、二つの例を紹介している。

(例1)吉塚から、鹿児島本線で福間、関門急行線で山口、山陰本線で京都、東海道本線山陽本線鹿児島本線で熊本までの場合は、幡生において鉄道の旅客運賃計算キロ程を打ち切る。従つて、この場合は、吉塚から幡生まで(吉塚から福間までと山口から幡生までのキロ程とは通算する。)を第1券片、幡生から熊本までを第2券片とした周遊*2とする。
(例2)京都から、東海道本線山陽本線鹿児島本線日豊本線で大分、豊肥本線で熊本、鹿児島本線で博多、関門急行線で山口、山陰本線で京都までの場合は、京都から博多までを第1券片、博多から京都までを第2券片とした周遊とする。

同年10月の旅規全面改定で、47条3項は、68条4項に移った*3。1959年8月1日、小郡駅前と小倉駅前通に代えて、小郡と小倉の各停車場が設置され、鉄道線との接続駅となり、68条4項は廃止となった。
なお、当時はまだ関門連絡船*4が運航しており、門司(山陽)下関(関門航路)門司港(鹿児島)門司と関門海峡を往復する1枚の乗車券が発売された。

*1:1959年7月11日廃止、代わりに小月町停車場を設置

*2:現在の連続乗車券。当時は回遊乗車券という名前だったはずだが

*3:表記に微妙な違いがある

*4:1964年11月1日廃止