岩泉線廃止

年度末の3月31日。今年は消費税増税による運賃改定もあり、デスクトップ鉄サイトのコンテンツには更新を要するものが多い。4月1日の岩泉線廃止に関連して、町村名と駅名の関係(町村代表駅)及び英語ページのRailway NewsRailways of Japanを更新した。
岩泉線は、2010年7月31日土砂崩れによる脱線事故以降全線運休となり、災害から復旧しないまま廃止となった。古くは士幌線糠平・十勝三股間、近年では高千穂鉄道同様の運休のまま廃止になったケースである。
1970年代前半、岩手県には次々と国鉄新線が開業した。

1970/03/01 盛線 盛−綾里 三陸鉄道南リアス線
1972/02/06 岩泉線 浅内−岩泉
1972/02/27 宮古 宮古−田老 三陸鉄道北リアス線
1973/07/01 盛線 綾里−吉浜 三陸鉄道南リアス線
1975/07/25 久慈線 久慈−普代 三陸鉄道北リアス線

これらは、大正11年改正鉄道敷設法の予定路線

六 岩手県久慈ヨリ小本ヲ経テ宮古ニ至ル鉄道
七 岩手県山田ヨリ釜石ヲ経テ大船渡ニ至ル鉄道
八 岩手県小鳥谷ヨリ葛巻ヲ経テ栗野附近ニ至ル鉄道及落合附近ヨリ分岐シテ茂市ニ至ル鉄道

の一部であり、国鉄が赤字に転落した以降も、同法に基づき鉄道建設公団により建設が進められていたのである。岩泉線は、茂市・浅内間*1の小本線を岩泉まで7.4キロ延伸し、岩泉線と改称した。本来の終着駅小本*2を線名から外したのは、この時点でさらなる延伸をあきらめたということか。
日本国有鉄道経営再建促進特別措置法により盛線、宮古線と久慈線は第1次廃止対象特定地方交通線に指定されたが、1984年4月1日地元が設立した第三セクター三陸鉄道に移管され、同時に建設中の吉浜・釜石間、田老・普代間が開業し全通に至った。東日本大震災の被害を受けた三陸鉄道は、震災の5日後には陸中野田・久慈間の運転を再開、その後も復旧区間を徐々に伸ばし、4月5日南リアス線、6日北リアス線の全線で運転を再開する。
岩泉線も、第2次廃止対象特定地方交通線に指定されるはずだったが、代替道路未整備を理由に廃止対象から外れ、JR東日本に承継された。2008年度「鉄道統計年報」によると岩泉線の乗客数はJR以外も含めた全国の路線で最低とのことであり(TETSUDO.COM)、廃線もやむをえないが、JR東日本が承継した岩泉線は、赤字のため国からの費用補填を受け復旧工事を行った三陸鉄道と明暗を分けたともいえる。

*1:「落合附近ヨリ分岐シテ茂市ニ至ル鉄道」に相当

*2:「栗野附近」がどこか不明だが、「日本国有鉄道百年史」第7巻の路線図では小本となっている