新幹線50年の技術史

新幹線50年の技術史 (ブルーバックス)10月1日の記事に書いたように東海道新幹線は法的に、また旅客営業制度の面でも、在来線の別線増設と扱われていた。しかし実態は、在来線のネットワークから独立した新しい交通システムである。鉄道工学の第一人者曽根悟氏の近著「新幹線50年の技術史」(講談社ブルーバックス)はこの辺りの事情について、次のように書いている。縦割りの官僚的組織の国鉄にあって「在来線と新幹線とは全く別のもの」を徹底し、線路も車両も「新幹線建設局が作り、後に運営は新幹線支社が担当した」ことが新幹線が短期間で成功に至った理由であるが、一方で新幹線と在来線の乗換えが不便な結果にもなった。
在来線が標準軌ではない日本では、フランスや、韓国、中国のように高速新線の列車が在来線に直通することができない*1。曽根氏は、日本で適用可能な新在一体的運用の例として、ドイツの例を挙げている。ドイツのネットワークで直通を行うときわめて複雑な運行系統になるため、同一ホームの両側でほぼ同時に発着するダイヤによる便利な乗換えを基本としているという。これは高速新線以前に普及していたサービスを高速新線に適用したということだが、日本でこれが実現したのは、九州新幹線暫定開業時の新八代駅だけである。長岡での「北越」や、新潟での「いなほ」への乗換などでは新八代方式を採用すべきであったが、「在来線とは別の鉄道」として作り、新幹線と在来線の間に中間改札というバリアを設けた国鉄にその発想がなかった、と述べている。
JR西日本社外取締役でもある曽根氏だが、新幹線の技術について、その他の多くの点においてもかなり辛口な評価をしている。新幹線システムは世界の最先端を言っていると無邪気に信じていた筆者にとっては、目からうろこであった。
一つだけ挙げると、信号方式の違い。日本以外の高速新線はすべて単線並列方式を採用し、必要に応じて左右いずれの線路も高速で走ることができる。新幹線の複線方式は、上下線が分離されていて、事故のときにバックすることができず、列車が閉じ込められてしまう。フランスでは信号を双方向とするとともに、必要な間隔で高速渡り線を設け、救援用のホームと収容線を設置しているという。新幹線と貨物列車が共用する青函トンネルで単線並列信号を採用すれば、時間帯を分けて両者が平行線を同一方向に走行し、新幹線の速度をキープすることができる、と指摘している。
もう一つ、新幹線方式の海外展開を促進するにあたって、ジャパン・レール・パスで「のぞみ」と「みずほ」を利用できないことを批判している。「せっかく海外から新幹線を体験しに来たお客様を新幹線嫌いにして帰国させる仕組み」は、まさにそのとおりである。

追記(10月21日):JR新潟駅の改良工事状況を見るというブログ記事によると、新潟駅では高架改造工事を行っているが、高架暫定開業時の平成30(2018)年頃上越新幹線「いなほ」の同一ホーム対面乗り換えを実施するそうだ。新潟支社を含めJR東日本のサイトには記載されていない。

*1:在来線が広軌のスペインはフリーゲージトレインによって新在直通を行っているが、日本での開発は遅れている。在来線を改軌し新在直通を行った山形・秋田新幹線では標準軌化した在来線と他の在来線とのネットワークを寸断した

日本国有鉄道百年史・総目次更新

デスクトップ鉄のデータルームの日本国有鉄道百年史・総目次を更新した。
国鉄が鉄道開業100周年記念に刊行した「日本国有鉄道百年史」は、本史だけで14巻10,000ページを超え、目指す記事がどの巻にあるか探すのが一仕事である。そのため2012年7月自分のために作成していた総目次を公開した。これまでは、編・章・節・第1、第2・1、2・(1)、(2)のレベルまでの目次だったが、今回その下位レベルの見出しを追加した。
別巻「索引・便覧」に事項・人名索引があるが、ワープロがなかった時代だから網羅的ではない。事項索引に「京浜東北線電車運転」という項目がある。第9巻p295の「大都市周辺における電車運転の発達」という見出しで、1925年上野・神田間の高架線が開業し、京浜電車は東京から上野まで延長されたと書かれているが、「京浜東北線」という用語は使われていない。一方、索引には記載されていない「京浜東北線」が第13巻p853の「東京付近の改良」という項に出てくる。1956年の田町・田端間の線路増設による山手線と京浜東北線の分離運転、1963年の赤羽・大宮間の3複線(電車・旅客列車・貨物列車)化が記載されている。
図書館での閲覧のために、見出しまでの総目次は役に立つと思う。

回遊乗車券

古書店の均一棚で昭和28(1953)年5月朝日新聞社から発行された「アサヒ相談室 旅行」という新書版を見つけた。巻末のリストによると、このシリーズ「カメラ」、「美容」、「買物」など23巻が記載され、「以下続刊」とある。戦後の混乱期を過ぎ、生活に若干ゆとりがでてきた時代が偲ばれるラインアップである。
「旅の前に」、「旅支度」に続く第3章が「切符の相談室」で、そのはじめに18ページに渡って「国鉄の切符あれこれ」という切符のルールの解説がある*1。次の構成で、旅規の条項を網羅している。

  • 通用期間
  • 片道と往復
  • 前売
  • 途中下車
  • 二等、一等、小児の運賃
  • 六歳未満の運賃
  • 運賃の計算法
  • キロ当りの運賃表
  • 特定運賃東京都区間大阪市区間の駅発着の場合
  • 安い切符の買い方
  • 回遊式で
  • 回遊と復乗
  • 環状線から支線への復乗
  • 途中にバス、汽船、私鉄がはさまる時
  • 自駅発以外乗車券
  • 異級乗車券
  • 急行券準急行
  • 特別急行
  • 寝台券
  • 特二券と特二乗船券
  • 着席券
  • 切符の払い戻し
  • 旅行を延期する場合
  • 乗車券を紛失した場合
  • 急行料金の払い戻し
  • 乗車券と手荷物

「回遊式で」の項で、東京から金沢に行く場合、信越北陸線経由で行き、米原へ出て、東海道線で東京に帰るコースを紹介し、次のように書く。

この場合、一つの環状線をめぐる回遊だから一本計算の安いキロが活用されるので、一一〇二・六キロの運賃が千二百五十円で往復を買うより三百三十円安くてすむ。
したがって時間が余裕のある限り、なるべく回遊式の切符で旅行するほうが経済だし、往復同じ線路を通らずに済むから、旅の楽しみも多い。

この「回遊」という言葉は紛らわしい。現在の連続乗車券を当時回遊乗車券といっていたからだ。次項の「回遊と復乗」には、東京から東海道線で大阪へ、関西線で名古屋に、さらに東海道線で東京に帰る行程の乗車券について、次の記述がある。

この回遊では、(図のように)東京・名古屋間を復乗していることになる。こういう場合は、運賃の一本計算は復乗のはじまるところで打切られて、名古屋から東京までの運賃が新たに計算されて加わることになる。
この回遊の切符を交通公社にたのんで、回遊乗車券にしてもらえば、復乗区間の通用期間まで合算されるから、通用期間はかなりゆったりする。

環状線から支線への復乗」には、東京−米原−東京の環状線一周に米原−京都間の往復を加えるコースについて、京都で打切るものと、東京−米原−東京の回遊運賃と米原−京都、京都−米原の特殊補充乗車券の運賃を加算するものと二つの方法があることを紹介し、運賃だけでなく通用期間も考慮して選択すべきと書く。そして

ここでちょっと特殊補充乗車券の説明を加えておく。その通用期間は最低七日間で、従ってキロ数によっては八日、九日とのびるのはいうまでもない。回遊乗車券にともなって発行されるのだが、回遊乗車券は通用日の七日前に売出されるが、特殊乗車券のほうは、通用日までさらに七日の余裕がある。つまり十四日前に発行されるわけになっている。

と続くが、ここは疑問符の連続である。まず「回遊乗車券」を連続乗車券の前身ではなく、回遊(環状線一周)の乗車券という意味で使っているようだ*2。回遊乗車券が1958年の旅規全面改正時に連続乗車券に変更になったのは、この紛らわしさを回避するためだったのだろう。
特殊補充乗車券については、1952年の旅規の第14条、乗車券の発売箇所で、自駅発売の例外として

三 乗車券所持の旅客からて、その券面の未使用区間の駅を発駅とする前途の駅に対して乗車券発売の請求があつたとき、普通乗車券の代用として特殊補充券を発売する場合

という規定だけで、通用期間の規定は見当たらない。通用期間と前売り日を混同している気がするが、そもそも当時の旅規には普通乗車券の発売日の規定がない。「通用期間は最低七日間」の記述の根拠をご存知の方、ぜひご教示願いたい。

*1:続いて「私鉄と私バス」、「船と航空券の切符」、「交通公社発行の券るい」、「切符のしまい場所」

*2:旅規制定当初3/4ルール(2010年4月13日以降の記事参照)があった頃は、環状線一周も回遊乗車券だったが、大正14年片道乗車券に統一された

日本国有鉄道百年史・総目次

鉄道史の資料として、鉄道事業者社史目録に続き、日本国有鉄道百年史・総目次を掲載した。
国鉄が鉄道開業100周年記念に刊行した「日本国有鉄道百年史」は、14巻の「本史」と5巻の別巻からなる。本史14巻は10,000ページを超え、100年間を6時代、6編に区分し、豊富な史料に基づき国有鉄道の歴史を詳細に叙述する。各編には2-3巻があてられ、第1章の「総説」で各時代を概観し、第2章以降は分野別の叙述である。
別巻「索引・便覧」に事項・人名索引があるが、目指す記事がどの巻にあるか探すのが一仕事である。このため本史14巻の総目次を作成し、公開することにした。図書館での閲覧時等に参照していただければ、幸いである。
6編の全体構成がつかめるよう、初期画面では章レベルまで掲載する折り畳み方式を採用した。リンクをクリックすると、1段下の階層が開き、再度クリックすると閉じるようになっている。
本日は、Free-ride Ticketsも更新し、夏休みのフリーきっぷを追加した。

国鉄・JRの社史等

鉄道事業者社史目録を更新し、国鉄・JR編を追加した。NDL-OPACで発行者が鉄道作業局、鉄道院、鉄道省運輸省鉄道局、日本国有鉄道日本鉄道建設公団等とJR各社の文献を検索した結果である。
日本国有鉄道百年史」などの総合史だけでなく、様々な部局・地方機関が部門史を発行している。これらを分野別に掲載した。路線の建設工事誌がとくに多い。なお、鉄道建設公団が建設した路線については、国鉄時代までの開業路線を「工事誌」に、分割民営化以後の路線をJR各社の項に分類した。

鉄道事業者社史目録

デスクトップ鉄のデータルームに鉄道事業者社史目録を掲載した。
多くの鉄道事業者が刊行している社史は、鉄道史の調査・研究に欠かせない。私鉄だけの目録ではあるが、鉄道史学会が1994年に編集・発行した鉄道史文献目録 私鉄社史・人物史編という労作がある。しかし、20年近く前の刊行であり、その後開業100周年を迎え競作となった名鉄東武京急阪神、阪急、西鉄近鉄、京阪の「百年史」が掲載されていない。また、所蔵状況の記載は、国会図書館運輸省図書館、東大経済学部図書館、龍谷大学図書館長尾文庫の4機関だけで、所蔵機関の記載のない文献も多く、簡単に閲覧することができない。
そこで、20歳以上であれば誰でも閲覧できる、国会図書館に所蔵されている文献をNDL-OPACで検索し、目録を作成した。国鉄・JRと私鉄・公営交通の2編に分けて公開するつもりだが、本日私鉄・公営交通編をリリースした。
国会図書館には、現在事業を行っていない事業者を含め、97社局の社局史が所蔵されていた。やはり大手私鉄と大都市の公営交通が充実している。大手私鉄は、西武鉄道を除く全社が創立または開業後何十周年や四半期の節目ごとに社史を発行している。さらに、まとまった社史の発行後「最近10年の歩み」などの形で補完している。今年創立100周年を迎え、様々なキャンペーンを行っている西武鉄道にも、ぜひ「百年史」を発行してもらいたいものだ。
国鉄・JR編はデータの整理が完了していないため、おって追記したい。

現在乗車可能な最長片道切符ルート

最長片道切符ルートの変遷1961-2011に掲載している最新の最長ルートは、2011年3月12日九州新幹線博多・新八代間開業後の最長ルートである。ところが、前日の東日本大震災によって、最長ルートを構成する東北地方の路線の多くの区間が不通となってしまった。線路が津波に流された山田線、気仙沼線原発事故による放射能汚染地域を走る常磐線が近い将来完全復旧する見通しはなく、当分の間、現行最長ルートを旅行することはできない。
現在店頭に並んでいる「旅と鉄道」に最長片道切符について書いた。ほとんどが「最長片道切符ルートの変遷1961-2011」やこのブログの記事などから再構成したものだが、現在乗車可能な最長片道切符のルートを計算して掲載した。
しかし、現在乗車可能な最長ルートというには、不通区間の組み入れが中途半端だった。仙石線と2011年7月の「新潟・福島豪雨」により不通となった只見線は、代行バスがあるのでルートに加え、山田線、気仙沼線常磐線は外したのだが、只見線の只見〜大白川間は代行バスが走っていなかった。気がついたのが、校了後だったので、訂正も注記もできなかった。実際には、不通承知で発券してくれるとは思うが、「現在乗車可能な最長ルート」というには厳密性を欠いていることをお断りしておく。