旅規290条

読者からメールをもらった。JR西日本1月31日プレスリリースは、1月29日新大阪で運転取りやめになった特急サンダーバード4号について、指令員が特急料金を払い戻さないとしたのは誤りで、全額払い戻すとしているが、旅規290条に基づけば指令員の取り扱いは正当ではないかとの疑問である。
結論から言えば、本件に旅規290条は適用されず、289条2項の本則に従って全額払い戻しとなる。290条は「新大阪駅着となる急行券、特別車両券」で「大阪駅新大阪駅との区間が乗車できなくなった場合」は「すでに収受した急行料金又は特別車両料金とすでに乗車した区間に対する急行料金又は特別車両料金とを比較して過剰額の払いもどしをする」という規定であり、新大阪・大阪間で運転停止になったサンダーバード大阪駅着の特急券には適用されない。
旅規290条はもともと、東北本線常磐線にあった一部の東京駅着の急行列車が上野駅で打ち切りになったときに適用するため、1968年10月1日の旅規改定で規定された(当時の旅規290条5項として挿入)。大阪・新大阪間に旅規290条が適用されたのは、1970年3月10日の旅規改定時である。当時は、山陽本線の多くの急行列車が新幹線乗継のため、大阪経由新大阪まで運転されており、大阪まで正常に運転され、大阪・新大阪間が運行不能等になったケースに適用されたものである。その後新幹線の岡山・博多延伸開業及びブルートレインの全廃等により、新大阪発着の特急列車の多くが廃止され、現在290条の「新大阪着」が適用されるのは、新大阪発着の「こうのとり」と京都発着新大阪停車の「スーパーはくと」だけである*1
1973年4月1日の旅規改定で、本来の上野・東京間の特例が廃止*2、代わりに品川・東京間が規定され、現行の290条1項となった。民営化後、運転系統の変更にあわせて2、3項が追加され、2015年3月14日の上野・東京ライン開業により、4項としてもともとの東北本線の急行列車への適用が復活した。指令員が勘違いしたように、290条を大阪着の北陸本線特急に適用してもよいと思う。品川・東京間や上野・東京間と比べてバランスが取れていない。なぜ、現在まで旅規に規定されないのだろう。
上記の趣旨を読者にメールしたところ、読者からJR東日本「きっぷあれこれ」の事故などの場合の取り扱い

運転をとりやめた列車の特急・急行料金は全額お返しいたします。ただし、品川〜東京間(東海道新幹線を含む)、上野〜東京・品川間、大阪〜新大阪間及び東北、上越北陸新幹線の大宮〜上野・東京間または上野〜東京間のみ運転をとりやめた場合は、特急・急行料金の差額のみのお返しとなります。

と書かれている(下線筆者)ので、誤解していたと返事があった。JR西日本の説明も全く同じである。JR西日本の指令員が誤った案内をしたのも、情状酌量の余地がある。
追記(2月4日):混乱があるようなので、あらためて290条の差額払い戻しの適用範囲を整理する。

路線 下車駅 不乗区間
1項 東海道本線(含む新幹線) 新橋、東京 品川・東京間
1項 東海道本線 新大阪 大阪・新大阪間
2項 東北・上越新幹線 上野、東京 大宮・上野、上野・東京間
3項 東海道本線・山手線 品川・池袋間各駅 品川・池袋間
4項 東北本線東海道本線 上野・品川間各駅 上野・品川間

いずれも一方向のみの適用である。双方向であれば、サンダーバードにも適用されることになる。東京駅で下車する(東京駅までの特急券を所持する)成田エクスプレスの旅客はいないと思うが、品川で打ち切られば、1項を適用して差額の払い戻しとなる。
本文で「品川・東京間や上野・東京間と比べてバランスが取れていない」と書いたのは、1項の品川・東京間と2項の上野・東京間を意識していた。
3項は、池袋・新宿着のスーパービュー踊り子・踊り子で品川駅を経由しないが、ここでも仮想品川駅が想定されている。

*1:上りの「サンライズ瀬戸・出雲」は大阪に停車するが、新大阪に停車しない

*2:東北新幹線建設工事の開始に伴い、東京・上野間の回送線が使用できず、東北本線の特急列車が東京駅を発着することがなくなったたため

国鉄の再建

昭和45(1970)年出版の「国鉄の再建」を古書店で見つけた。日本国有鉄道審議室編で、交通協力会出版部の発行。
前年の「日本国有鉄道財政再建特別措置法」(S44.5.9法律第24号)の施行を受け、運輸省の「日本国有鉄道の財政の再建に関する基本方針」(S44.9.12閣議決定)に基づき、国鉄は「日本国有鉄道の財政の再建に関する経営の基本的計画」(S45.2.19)を策定した。この本は、国鉄の基本的計画に関する部内向けの解説書として刊行されたようだ。
旅客運賃制度について、興味深い記述があるので紹介する。

 現在は上野から札幌へグリーン車で行く場合、札幌までの乗車券とグリーン券、青森までの特急券・寝台券、連絡線の座席指定券、函館から札幌までの特急券といった具合に、5枚もの切符をもたないと行けないし窓口もひとつの窓口では用が足りない場合が少なくない。最近、電算端局装置で乗車券と指定券が1枚の切符で売れるようになり、また手作業の場合にも乗車券と急行券の1枚化がすすめられたりしているが、まだ不十分な点が多い。また運賃・料金の制度上も、例えば急行列車を乗りかえるごとに別に急行料金がいるなどの問題もあって、旅客にとって不便であるのはもちろん、国鉄にとっても取扱いがそれだけ複雑となり、切符の発売を機械化する場合のあい路にもなっている。
 そこで、今後は切符類はできるだけ1枚で売れるように、運賃料金制度を検討して改善を図る。

ヨーロッパのようにインターシティ運賃と都市圏内運賃を分離して、都市間運賃は急行料金込みにする構想*1だと思うが、実現しなかった。実際に検討されたのだろうか。それをいうなら、特別措置法が成立した1969年5月9日の運賃改定時点に、運賃の等級制をやめてグリーン料金制度に変更したのも、切符の1枚化に逆行する動きだった。

 現在は、全国どこでもキロ当たりいくらという運賃制度(全国一律対キロ運賃制)を採用しており、この制度は、全国鉄道輸送網の確立、地域開発の促進等に大きな役割を果たしてきた。
 しかし近年、大都市の発展が著しく、対キロに基づく運賃制度では、同一都市内発着の場合でも、駅が異なることによって運賃が相異し、運賃算定上煩雑であるばかりでなく、今後輸送の近代化をはかる上にも障害となっている。
 したがって、今後の輸送体制の近代化に即した運賃制度を考える必要があるので、例えばゾーン運賃の拡大、線区内均一運賃制度等について検討することとする。

このページには「ゾーン運賃の拡大」と題した地図がある。都区市内発着の共通運賃の六大都市が「現行」として示され、他に「拡大」として旭川地区、札幌地区、函館地区、青森地区、盛岡地区、仙台地区、秋田地区、山形地区、新潟地区、長野地区、金沢地区、鳥取地区、島根地区、広島地区、高松地区、福岡地区、熊本地区、鹿児島地区が記載されている。このうち、1972年9月1日の旅規改定で実現したのは、札幌、仙台、広島、北九州、福岡の5市にとどまっている。市内共通運賃がなぜ「輸送体系の近代化に即した運賃制度」なのか、また「線区内均一運賃制度」が何を意味するのかも不明である。
なお、この法律は第一次「日本国有鉄道財政再建特別措置法」で、昭和44年度から10年間を再建期間とする再建計画を定めているが、赤字額の増加に歯止めがかからず、昭和51年11月5日廃止された。その後第二次「特別措置法」(S55.12.27法律111号)が制定された。新法で地方交通線における割増運賃が規定され、全国一律運賃が崩れた。

*1:都市圏内運賃は他の輸送モードとの共通のゾーン運賃

基準規程旧20条

「むさしの」と「しもうさ」の運賃計算経路について書いた2014年8月2日の記事のコメントで、非営業線区を経由する臨時列車に関する国鉄時代の基準規程20条の教示を受けた。「しもうさ」の運賃計算経路について新たなコメントがあった機会に、民営化時に廃止された旧国鉄の旅客営業取扱基準規程20条(1974年4月現行)を紹介する。

(旅客の非営業線区における臨時取扱方)
第20条 旅客の非営業線区を経由する臨時列車を運転し、旅客の取扱いを行う場合は、順路による旅客の営業線を経由したものとして取り扱うものとする。ただし、次に掲げる旅客の非営業駅に着発する場合は、各そのかつこ内のキロ程によりその取扱いをするものとする。

        (参考)
(1) 塩釜港 (陸前山王・塩釜港 4.9km)   (1) 塩釜港 (陸前山王・塩釜港 4.9km)
        (2) 東新潟港 (越後石山・東新潟港間 6.0km)
        (3) 沼垂 (越後石山・沼垂間 4.0km)
(2) 隅田川 三河島隅田川 3.2km)   (4) 隅田川 三河島隅田川 3.2km)
  (北千住・隅田川 4.3km)     (北千住・隅田川 4.3km)
(3) 小名木川 (小岩・小名木川 8.6km)   (5) 小名木川 (亀戸・小名木川 2.1km)
(4) 越中島 (小岩・越中島 11.7km)
(5) 汐留 (品川・汐留間 4.9km)   (6) 汐留 (品川・汐留間 4.9km)
(6) 名古屋港 (名古屋・名古屋港間 8.0km)   (7) 名古屋港 (名古屋・名古屋港間 8.0km)
(7) 白鳥 (名古屋・名古屋港間 4.9km)   (8) 白鳥 (名古屋・名古屋港間 4.9km)
        (9) 浜大津 膳所浜大津 2.2km)
(8) 浪速 (大正・浪速間 3.1km)   (10)浪速 (大正・浪速間 3.1km)
(9) 大阪港 (大正・大阪港間 6.6km)   (11)大阪港 (大正・大阪港間 6.6km)
(10)高砂 高砂高砂港間 1.7km)   (12)高砂 高砂高砂港間 1.7km)
(11)浜多度津 多度津・浜多度津 2.2km)   (13)浜多度津 多度津・浜多度津 2.2km)
(12)坂出港 (坂出・坂出港間 2.9km)   (14)坂出港 (坂出・坂出港間 2.9km)
(13)門司埠頭 (門司・門司埠頭間 5.2km)   (15)門司埠頭 (門司・門司埠頭間 5.2km)
(14)博多港 (香椎・博多港 7.8km)   (16)博多港 (香椎・博多港 7.8km)

参考として右側に記した区間は、「旅客及び荷物営業細則」8条(1962年現行)のものである*1。1962年現行の細則8条は平林喜三造「旅客営業規則解説」に記載されていたもので、同書はこの規定について次のように解説している。

旅客の非営業線区に団体又は貸切運送若しくは引揚者等の特殊運送が、臨時列車を運転して行われる場合、いかなる運賃計算をするかについては、すべて順路による旅客営業線*2を経由したものとして取り扱うこととしている。この順路による旅客営業線とは、その臨時列車による運送が行われなければ当然経由するであろう通常の定期列車による運送経路によるのである。

とし、例として、東海道線から千葉方面への臨時列車(東海道線品鶴線山手貨物線→金町→新小岩→千葉)は、東海道線→東京→秋葉原→千葉の順路で運賃計算するとしている。さらに、

旅客の非営業線区を経由する臨時旅客列車による運送営業は若干あるが、まれにはこの非営業線区に発着する臨時列車による旅客運送営業が行われることがある。例えば、小名木川発成田行の臨時列車とか上野発沼垂行の臨時列車等である。
これらの場合には、対応する旅客キロ程がないので、それぞれ貨物キロ程を使用することとしているが、便宜上具体的にその区間とキロ程が本条に明示されている。

旧20条は当時の旅客営業規則14条の「旅客運賃・料金の計算その他の運送条件をキロメートルをもつて定める場合は、別に定める場合を除き、鉄道営業キロ程・航路営業キロ程又は自動車線営業キロ程による。」の「別に定める場合」を規定したものだった。解説から分るように、団体等の臨時列車の運転ルートのキロ程に関するきわめて特殊な規定である。例に挙げている区間は、実乗キロよりも「順路」の運賃計算キロが短い区間であり、旅客にとって有利な取扱いを内規で定めたともいえる。
JR化後、営業キロが「順路」よりも短い短絡線を経由する定期列車が運転されるようになった。旅規は67条で「旅客運賃・料金は、旅客の実際乗車する経路及び発着の順序によって計算する。」と定めているが、短絡線を経由する運賃計算の例外規定は存在しない。
現行の旅規14条は、

営業キロ
第14条 旅客運賃・料金の計算その他の旅客運送の条件をキロメートルをもって定める場合は、別に定める場合を除き、営業キロによる。
2 前条の営業キロは、旅客の乗車する発着区間に対する駅間のキロ数による。

1項に「別に定める場合」が残っているが、現在は運賃計算キロ又は擬制キロを指すと解釈される。2項は、1980年4月20日「キロ程」を「営業キロ」に改定したときに挿入されたものである。「駅間のキロ数」は、営業キロが存在しない短絡線を意識しているのかもしれない。湘南新宿ラインは旧蛇窪信号場の短絡線を経由するが、大崎・西大井間に「駅間のキロ数」は存在せず、大崎・品川・西大井間のキロ数を使用すると、読ませようとしているのか。「旅客の乗車する区間」ではないのだが。
しかし、「むさしの」が経由する西浦和・与野間には4.9キロの駅間の営業キロが設定されている、JR東日本の第1種事業区間である。「むさしの」の運賃計算経路(西浦和武蔵浦和中浦和・大宮)は、実乗ルートよりも1.8キロ長い。2014年8月2日の記事に「西浦和・与野(短絡線)経由の運賃計算を認めてしまうと、武蔵浦和経由の運賃計算が有名無実化してしまうので、それを避ける意図があるのでは」とのコメントがあった。たしかに西浦和・与野間を運賃計算経路とすると、東京近郊区間内相互発着の乗車券では、「むさしの」の乗車だけでなく武蔵浦和で乗継ぐ場合にも適用されてしまう。
これを回避するには、旅規の明文規定が必要である。旅規に頻出する「旅客運賃計算経路」を定義し、非運賃計算経路を明示すべきである。6月1日の記事にコメントがあった、新垂井線を運賃計算経路から除外する根拠規定としての意味もある。

*1:細則時代は見出しと本文の「旅客」が「旅客又は荷物」となっていた

*2:原文は下線ではなく、傍点

荷物営業規則

国鉄の荷物運送は、鉄道開業とともに始まった。当時の荷物運送規程について「日本国有鉄道百年史」(第1巻、p415)は、

手回り品および手荷物の取扱いは、品川・横浜間の仮開業と同時に開始した。これに関する制度は、「鉄道列車出発時刻及賃金表」中に定められていた。6年9月15日、新橋・横浜間で開始された小荷物の制度は、「鉄道貨物運送補則」第31条に規定されていた。他方、明治7年5月大阪・神戸間で小荷物の取扱いを開始したさいには、「小包荷物運送規則」が制定された。新橋・横浜間では、明治7年11月17日、「小包荷物運送規則」11項が工部省達で定められ、12月1日から施行された。

と書いている。鉄道貨物輸送とともに開始された小荷物は、旅客運送に伴う手荷物とは、区分されていたようだ。
1920年旅客運送関連の単行規程を一本化して制定された「国有鉄道旅客及荷物運送規則」は、第3編として「手荷物、小荷物及旅客付随小荷物ニ関スル規定」を定め、これ以降荷物運送は旅規に規定されていた。旅規ポータルに掲載の旅客及び荷物運送規則(1958年10月1日施行)には荷物編も記載しているが、「国鉄旅規改訂履歴1958-1987」は旅客編だけで、荷物編の改定は省略していた。今回、旅客及び荷物営業規則から荷物編を分離して制定された荷物営業規則(1974年10月1日施行)を掲載した。おそらく国鉄が初めて「ですます体」で書いた規則だろう*1
1949年6月1日公共企業体としての日本国有鉄道の発足以降、荷物運賃制度は次のように推移した*2

施行日 手荷物 通常小荷物
1949/06/01 定額 距離制(距離500km刻み、重量10kg刻み)
1950/06/01 距離制(距離1000kmまで250km刻み、以降500km刻み。重量30kgまで5kg刻み、以降10kg刻み)
1950/06/01 定額(託送は3個まで。2,3個目は通常小荷物運賃)
1951/11/01 距離制(距離同上。重量40kgまで5kg刻み、以降10kg刻み)
1953/01/15 定額(30kg超は通常小荷物運賃) 距離制(距離500kmまで100km刻み、1000kmまで250km刻み、以降500km刻み。重量同上)
1966/03/05 定額(託送は2個まで。30kg超は通常小荷物運賃) 地帯制(都道府県別5地帯。重量10kg刻み)
1969/05/10 地帯制(都道府県別5地帯。30kgまで10kg刻み) 地帯制(都道府県別5地帯。重量10kg刻み)

1969年5月等級制からモノクラス制に移行した旅規の大改定時に、定額だった手荷物運賃に地帯制を導入した。国鉄百年史(第13巻、p165)は、その理由を次のように記述している。

旅客・手荷物の同時輸送が減少し、配達個数の増加などから旅客が携行する代わりに託送するという手荷物の特質が年々失われ、小荷物との品目の差がなくなってきたからである。

掲載した荷物営業規則は、この時点の規定である。5地帯の区分は別表3に記載されている。1985年4月20日施行の荷物営業規則改定で、地帯区分を都道府県単位から地方単位にまとめる一方、運賃区分を5地帯から12地帯に細分化した。

地方区分 都道府県/地方区分 北海道 北東北 南東北 関東 信越 中部 北陸 関西 中国 四国 北九州 南九州 沖縄
北海道 北海道 1 2 4 5 5 6 6 8 10 11 12 12 12
北東北 青森、岩手、秋田 2 1 1 2 2 3 3 4 6 7 8 9 12
南東北 宮城、山形、福島 4 1 1 1 1 2 2 3 5 6 7 8 12
関東 茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨 5 2 1 1 1 1 2 2 3 4 5 6 11
信越 新潟、長野 5 2 1 1 1 1 1 2 3 4 5 6 11
中部 岐阜、静岡、愛知、三重 6 3 2 1 1 1 1 1 2 2 3 4 9
北陸 富山、石川、福井 6 3 2 2 1 1 1 1 2 3 3 4 9
関西 滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山 8 4 3 2 2 1 1 1 1 2 2 3 7
中国 鳥取、島根、岡山、広島、山口 10 6 5 3 3 2 2 1 1 2 1 2 6
四国 徳島、香川、愛媛、高知 11 7 6 4 4 2 3 2 2 1 3 4 8
北九州 福岡、佐賀、長崎、熊本、大分 12 8 7 5 5 3 3 2 1 3 1 1 4
南九州 宮崎、鹿児島 12 9 8 6 6 4 4 3 2 4 1 1 3
沖縄 沖縄 12 12 12 11 11 9 9 7 6 8 4 3 -

荷物営業規則は、その後民営化直前の1986年10月1日に全面改定され、大幅に簡素化された現行のJR荷物営業規則に至っている。
追記(5月10日):1974年の都道府県別地帯区分にも、1985年の地方別地帯区分にも、国鉄の線路がない沖縄県が含まれているのは、おそらく、沖縄航路が国鉄の連絡運輸会社線だったためだろうと調べてみた。Wikipedia琉球海運に「1972年5月15日 - 沖縄の本土復帰にともない、鹿児島駅を接続駅とした本土 - 那覇国鉄小荷物連絡輸送を開始」と書かれている。また同日の旅客及び荷物営業規則の改正公示(国鉄公示第56号)に、別表第4号の鹿児島県の次に沖縄県を加えることが記載されていた。
国鉄時代の連絡運輸規則別表は所持していないが、1987年4月JR発足時点の別表に琉球海運株式会社航路が記載され、西鹿児島駅接続(Wikipediaの鹿児島駅と異なる)で、JR九州各駅から那覇港、平良港、石垣港*3までの片道、往復、団体乗車券が発売されていた。
2011年のJR東日本荷物営業規則の荷物地帯区分表には、沖縄は記載されていない。1997年版にもなかった。いつ琉球海運との連絡運輸が廃止され、荷物営業規則別表から沖縄が削除されたのか不明だが、1987年から1997年までの間である。

*1:同日全面改定して制定された貨物営業規則も「ですます体」

*2:国鉄百年史(第13巻、pp164-167)、時刻表復刻版、旅規改正国鉄公示などによる

*3:Wikipediaによると、1976年に鹿児島−那覇−先島航路の直行便を開設した

特殊割引乗車券発売規則

旅規ポータルの旅規アーカイブスに、特殊割引乗車券発売規則(1967年6月20日施行)を掲載した。エコノミークーポン、訪日観光クーポン、特殊観光乗車券、特殊往復乗車券、臨時割引乗車券が対象で、それまで個別の公示や達示で定めていた営業割引制度を、周遊割引を除いて一本化した。
日本国有鉄道百年史」(第13巻、pp49-52)などによるとそれぞれの概要は次の通り。
エコノミークーポン(エック)は、1966年3月の運賃改定による旅客減に対処するため設定された「発から着までの鉄道(乗車券・指定券とも)・バス・旅館等旅行に必要なあらゆるものをパックし、大胆な割引*1を取り入れ、旅客の希望地を狙った完全レディーメイド商品」である。宿泊券を伴う第1種と乗車券だけの第2種があった。まだエックの名称はなかったが、67年1月13日から3月中旬にかけて大阪、名古屋、静岡方面から新幹線利用で設定された「蔵王スキー乗車券」が第1号とされている。
訪日観光クーポンは、個人インバウンド旅行者向けの割引制度である。1964年3月18日制定の訪日観光乗車券発売規則(11コースを設定、10%の割引)を継承したもの。なお、旅規には以前から訪日観光団体の規定があった。
特殊観光乗車券と特殊往復乗車券は、1959年6月15日の営達988号「臨時特殊割引乗車券の発売について」に基づき発売された3種類の割引乗車券を引き継いだ。旅客誘致による増収のほか、出札窓口の混雑緩和、旅客運賃の逋脱防止、輸送調整の目的があった。第1種(夏季の海水浴・登山・キャンプ、冬季のスキー・スケート客を対象、5-10%割引)と第3種(閑散期の観光客を対象、10%割引)が特殊観光乗車券に、第2種(第1種の対象客以外の混雑地向け旅客を対象、10%割引)が特殊往復乗車券となった。1970年10月1日、特殊観光乗車券は特別企画乗車券に改められた。
臨時割引乗車券は、従来輸送調整の目的で対象を限定して発売していた「大会割引・総会割引・会合割引」を引き継いだもの。
この規則は特別企画乗車券の原点であるが、現在JRに特殊割引乗車券発売規則は存在せず、各種の特別企画乗車券の約款は公告されていない。JR東日本の部内規程である「特殊割引乗車券設定規程」*2は、設定の目的を

(設定の目的)
第3条 特殊割引乗車券の設定にあたつては、次の各号に定める事項を目的とし、かつ純収入を減少させないと見込まれる範囲内で設定する。
 (1) 閑散期または閑散線区等に対する積極的な営業施策の展開により、旅客の誘致を図る。
 (2) 他運輸機関との競合区間で、積極的に営業施策を展開する。
 (3) 催し物、博物館等の見物客の当社線の利用促進を図る。
 (4) 宿泊券、船車券等と組み合わせて販売することにより、旅客の誘致を図る。
2 前項に規定するほか、旅客の利用促進を図り、かつ増収が期待される場合に設定することができる。 

と定めている。青春18きっぷは、第2項に該当するのだろうか。また、特殊割引乗車券の設定については、第4条で営業部長*3に委ねている。

*1:30%以内で本社が設定。その後69年7月に20%以内のものについては鉄道管理局長または地方自動車部長が設定できるようになり、70年10月からこれを30%以内に改定した。

*2:2011年10月日本鉄道図書版による。

*3:一部は支社長

新幹線自由席特急券発売規則

旅規に自由席特急券が記載されたのは、1965年10月1日の改定時である。しかし、その前年の12月に新幹線「こだま」に自由席が登場した。本日旅規ポータルを更新し、その時単行規程として制定された新幹線自由席特急券発売規則を掲載した。1964年12月18日制定の規則と、1965年5月20日改定施行の規則を対比している。65年5月の改定では1等車にも自由席が設定され、また6条2項に「乗車券類委託発売規程に定める案内所(旅行代理店)においては、自由席特急券の一部を当該列車が始発駅を出発する日の21日前の日の11時から発売する」と規定され、クーポン用特急券の様式も記載された。しかし、5条の自由席特急券の発売箇所は、「国鉄が指定した駅」のままである。
1965年10月1日、在来線の特急にも自由席が設定され、旅規57条1項1号ロに自由席特急券

ロ 自由席特急券
 特別急行列車に乗車し、自由席(別に定める区間における特別急行列車の座席を含む。以下同じ。)を使用する旅客に対して、乗車できる列車、乗車駅及び乗車区間を指定して発売する。ただし、乗車する列車を限定して発売することがある。

と規定され、自由席特急料金は、指定席特急料金から100円を低減した額とされた(125条1号及び2号ロ)。
同時に国鉄公示539号で「第57条第1項第1号に規定する特別急行列車に対する自由席特急券の発売列車及び区間並びに同第126条に規定する特定の特別急行料金を適用する列車及び区間*1」が公示された。新幹線はすべての「こだま」の全運転区間に自由席が設定された。在来線の特急では35列車(往復)に自由席が設定されたが、「はつかり」(上野・青森間)の盛岡・青森間、「はくたか」(上野・金沢間)の富山・金沢間など末端区間だけの列車が大半である。運転された全区間にわたって自由席が設定された特急は、山陽本線などの次の10列車(往復)だけだった。

列車 運転区間 特定料金設定区間
しらさぎ 名古屋・富山 金沢・富山
あすか 名古屋・東和歌山 名古屋・東和歌山
つばめ 名古屋・熊本 小倉・熊本
はと 新大阪・博多 広島・博多
いそかぜ 大阪・宮崎 別府・宮崎
みどり 新大阪・佐世保/新大阪・大分 小倉・佐世保/小倉・大分
第1しおじ 新大阪・下関 新大阪・岡山/広島・下関
第2しおじ 新大阪・下関 新大阪・岡山/広島・下関
第1しおかぜ 新大阪・広島 新大阪・岡山/岡山・広島*2
第2しおかぜ 新大阪・広島 新大阪・倉敷/岡山・広島*3

*1:特急料金を2等300円、1等600円に特定した区間。この区間で自由席特急券を発売する場合は、特急料金の100円低減は行わなかった

*2:上りは第2しおかぜ

*3:上りは第1しおかぜ

乗車変更の差額精算

乗車変更の運賃精算は、変更区間の運賃(方向変更・経路変更は、変更区間の差額)収受が基本であるが、例外として発駅からの運賃の差額を精算する方式(差額精算・発駅計算)がある。旅規は第249条第2項第1号ロで、差額精算を適用する乗車券について、

(イ)大都市近郊区間内にある駅相互発着の乗車券で、同区間内の駅に区間変更の取扱いをするとき。
(ロ)片道の乗車区間営業キロが100キロメートル以内の普通乗車券で区間変更の取扱いをするとき。

と規定している。発売当日限り有効、下車前途無効の乗車券が対象だが、これは1976年11月6日の旅規改定以降であり、1958年10月の旅規全面改定以降次のような変遷があった。

施行日 乗越 方向変更・経路変更
1958/10/01 ・原乗車券区間と乗越区間が通算150キロメートル以内 電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の変更
1961/04/06 電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の乗越
・原乗車券区間と乗越区間が通算150キロメートル以内
同上
1966/03/05 電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の乗越
・原乗車券区間と乗越区間が通算200キロメートル以内
・地図式の乗車券(原乗車券の着駅が東京都区内/大阪市内の駅で、東京駅/大阪駅から乗越着駅まで200キロメートルをこえるときを除く)
電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の変更
・地図式の乗車券(原乗車券の着駅が東京都区内/大阪市内の駅で、東京駅/大阪駅から変更着駅までまたは変更経路が200キロメートルをこえるときを除く)
1968/10/01 電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の乗越
・発駅又は着駅が電車特定区間内の地図式の乗車券(原乗車券の着駅が東京都区内/大阪市内の駅で、東京駅/大阪駅から乗越着駅まで200キロメートルをこえるときを除く)
・原乗車券区間と乗越区間が通算200キロメートル以内
電車特定区間内相互発着の乗車券による区間内の変更
・発駅又は着駅が電車特定区間内の地図式の乗車券

乗越と方向・経路変更との微妙な差も気になるが、とくに注目するのは、66年3月5日の旅規改定で地図式乗車券が追加されたことである。それまで地図式乗車券の発売は、旅規第189条第4種の備考で、20キロメートル以内の区間電車特定区間内相互発着に限定されていたが、同日の改定でこの備考が削除されたため、追加されたものと思われる。
1970年10月1日に乗車変更を旅行(使用)開始の前後で区分する制度の抜本的な改定があった。乗越・方向変更・経路変更はまとめて区間変更となり、差額精算の対象は第249条第2項ロに次のように規定された。

(イ)電車特定区間内にある駅相互発着の乗車券で、同区間内の駅に区間変更の取扱いをするとき
(ロ)第189条に規定する矢印式及び地図式乗車券(これらの乗車券の発駅又は着駅が電車特定区間内にあるものに限る。)並びに同条に規定する金額式乗車券で、区間変更の取扱いをするとき。ただし、原乗車券(金額式乗車券を除く。)の着駅が特定都区市内の駅である場合で、変更着駅まで又は変更経路による着駅までの鉄道区間のキロ程が当該中心駅から200キロメートルをこえるときを除く。

とキロ基準に代わって、乗車券の券種によって取扱いを異にすることとなり、これまでの地図式に矢印式と金額式が追加された。金額式は、着駅の判定が地図式や矢印式よりも困難なのに、それまで規定されなかったのは不思議であるが、旅規第189条の片道乗車券の様式として金額式が規定されたのは、この時が初めてだったのである。「国鉄乗車券類大事典」によると、それまでは運賃改訂の前後に地図式の代用として発売されたもので、正式な様式ではなかったようだ(p108)。
これ以降は、73年4月1日電車特定区間が大都市近郊区間に変更となり、74年10月1日矢印式と地図式が削除され金額式だけとなった。75年1月1日、(ロ)が「片道乗車の区間のキロ程が40キロメートル以内の普通乗車券で、区間変更の取扱いをするとき」と変更になり、券種基準に代わってキロ基準が復活したが、当時の有効1日・下車前途無効区間であるの50キロ以内と一致しない。これが76年11月6日、50キロ以内に改定され、ようやく現行と同じ基準になった。
筆者の疑問は、券種の違いによって実際に精算額に差が生じたかどうかである。電車特定区間、キロ基準と地図式が併存していた、66年3月5日から70年10月1日までの間に、地図式乗車券が電車特定区間内以外の区間と30-50キロ超の区間で実際に発売されただろうか。「大事典」109ページの表8-2によると、首都圏では51キロ以上の列車区間は、一般式だけで地図式は発売されていない。
矢印式と金額式が追加され、キロ基準が撤廃された70年10月1日以降も、首都圏の51キロ以上の列車区間はすべて一般式である。しかし関西では異なっているかもしれない。筆者のコレクションには、70年9月6日(45.9.6)発行の飾磨港から姫路ゆきの一般式B型券(40円)と姫路から40円の矢印式券(最遠駅は太市、飾磨港、似豊野、曽根)がある。もしこれが10月1日以降も発売されていたとしたら、前者で宝殿まで乗越したときの精算額は姫路・宝殿間12.4キロの打ち切り計算で60円(計100円)、後者で東加古川まで乗越したときは差額精算で60円(計80円)となる。乗車区間は前者が18.2キロで後者が19.3キロ、16-20キロの同じキロ帯でも合算額は100円と80円と異なることになる。
もう一つは、矢印式・地図式と金額式との差異。川崎から蒲田までの乗車券で、東京駅から200キロを超える東北本線で矢吹まで乗り越すときは、地図式乗車券は東京駅からの打ち切り計算で30円+890円の計920円、金額式は差額精算で川崎*1・矢吹間の970円になる。なお川崎駅で同時に2種類の券種が発売されていたかは不明である。
追記(11月11日):キロ基準が券種基準に代わり、その後キロ基準が復活したと書いたのは、正確でなかった。70年10月以前のキロ基準は原券区間と乗越区間の通算キロであったのに、75年以降は原券の券面キロによる取扱いの差異である。乗越の差額計算は、電車特定区間(大都市近郊区間)基準を除くと、実乗車区間のキロ→実乗車キロと乗車券種の併用→乗車券種→原券の券面キロと変化した。
だから「66年3月5日から70年10月1日までの間に、地図式乗車券が電車特定区間内以外の区間と30-50キロ超の区間で実際に発売されただろうか」と書いたのは意味がなかった。この期間地図式乗車券(68年10月1日以降は電車特定区間発着に限る)は、その券面キロにかかわらず(電車特定区間相互発着でなくても、乗車区間が200キロ超の場合であっても)差額計算が適用された。
むしろ、70年10月1日以前、なぜ矢印式や、旅規に規定がなくても運賃改定の前後に発売されてた金額式乗車券に適用されなかったか、疑問である。ローカルルールがあったのかもしれない。

*1:横浜市内駅