国鉄の副業規則

国鉄の副業は、鉄道(連絡船、自動車を含む)事業にかかわる附帯事業等に限られていた(日本国有鉄道法第3条)。駅構内、列車等のスペースを活用した附帯事業として、駅構内営業と広告媒体事業があった。その取扱いを定めた、日本国有鉄道構内営業規則(1954年7月1日施行)日本国有鉄道広告取扱規則(1957年4月1日施行)を旅規ポータルに掲載した。出典は、官報に掲載されて国鉄公示(構内規則は昭和29年7月1日公示第172号、広告規則は昭和32年3月22日公示第75号)。

どちらも60年以上前の、時代を感じさせる規則である。構内規則の構内旅客運送営業には、馬車(馬そりを含む。)・人力車(そりを含む。)・厚生車などの項目がある。厚生車とは、輪タク自転車タクシー)のことらしい。食堂車営業も絶滅した。また、広告規則には、なつかしい「車内つり皮広告」があった。

駅に掲出するポスターの料金は、駅の等級(特等と1等から10等までの11段階)によって定められていた。構内営業料金(業者が国鉄に支払う料金)も、手回り品運搬(赤帽)、くつみがき、構内旅客運送営業等、広告規則の駅等級によった*1

別表第2に、連絡船桟橋、自動車駅を含むすべての駅の等級が記載されている。1957年時点で特等は、東京、上野、新宿、大阪の4駅だけ。1等は、東京鉄道管理局管内の7駅のほか、京都と天王寺だけ。意外なのは、川崎が1等だったのに、横浜は桜木町、小田原、鎌倉、逗子、横須賀と同じ2等だったこと。その後61年4月1日に1等に昇格し*2、64年11月1日に1等がA、Bにわかれ、川崎などとともに1等Aに、さらに70年10月1日特等Bに昇格し、川崎より上位になった。70年代後半以降、広告取扱規則の改正公示(とくに別表)は官報では「内容省略」となり、その後の推移はわからない。

 

 

*1:構内規則の施行時の広告規則は旧規則で特級がない

*2:このとき特等がA、Bにわかれ、東京だけ特等Aに、特等Bに3駅のほか、有楽町が昇格

乗車券類委託発売規程

旅規ポータルに国鉄時代の乗車券類委託発売規程を掲載した。1954年9月10日施行の規程(1954年規程)と1965年10月1日全面改定した規程(1965年規程)を対比している。

出典は、官報に記載された国鉄公示である(1954年規程は昭和29年9月9日公示第262号、1965年規程は昭和40年9月24日公示第546号)。連絡運輸規則は別表に意味があるが、委託発売規程も別表記載の委託発売する旅行会社の営業所の変遷が興味深い。1965年規程の別表1は、国鉄公示にリストが記載されておらず、1954年規程以降の公示を積み重ねて作成したものである。営業所の開廃だけでなく、住所の変更等も別表の改正として、そのつど公示された。数年前にもトライしたが、あまりに膨大で途中で挫折した経緯がある。今回再挑戦し、1965年までたどりついた。一部整合性に欠けるところがあったが、ほぼ完成した。

1954年当時の委託業者は、日本交通公社*1だけで、ほとんどの営業所ですべての乗車券類を取り扱っていた。国鉄との蜜月時代を象徴している。1965年の交通公社のリストに、日大、中大と大学内の営業所が注目される。東大、京大にも設置されていたが、1965年以前に廃止された。カニ族と呼ばれた大学生の旅行が盛んだった時代ならではである。

1957年1月1日日本旅行*2が加わる。当初は団体乗車券だけだったが、1960年9月1日から周遊券も扱うようになった。その後加わった近畿日本ツーリスト(1957/01/01)、全日本観光(1957/01/01)*3、東急観光(1958/05/01)、日本交通観光社(1961/07/01)*4名鉄観光サービス(1964/07/01)は、1965年時点まで団体乗車券のみである。大半が修学旅行関連の業務だったと思われる。

JRの乗車券を旅行会社で購入することは少なくなったと思うが、乗車券類委託発売規程は、乗車券類委託販売規則としてJRに引き継がれている。2011年のJR東日本の規則の条文構成は、ほぼ1965年規程を踏襲している。別表第1は省略されているが、乗車券類委託販売基準規程第6条に営業所の駅名小印の略号が示されており、委託業者はJTBを筆頭に69社にのぼる(1965年当時の7社から、全日本観光、全日本観光、日本交通観光社の名前が消えている)。69社には、旅行会社やJRバス各社に加え、西武鉄道土佐くろしお鉄道のと鉄道松浦鉄道伊豆箱根鉄道鉄道事業者5社が名を連ねている。JRとの接続駅でのJR乗車券の代行発売だろうか。

追記(5月22日):コメントを受けて受託業者の推移を調べてみた。1985年から2011年は、乗車券類委託販売基準規程第6条、2018年はJTB時刻表によった。時刻表は50音順なので、2011年に記載されていなかったIRいしかわ鉄道以降は順不同。記号は、Wikipediaの「マルス(システム)」を参照したが、JTBビジネストラベルソリューションズは不明。

記号 委託業者 1965 1985 1997 2011 2018
  業者数 7 33 78 69 60
(株)日本交通公社  
(株)JTB        
(株)日本旅行        
(株)日本旅行  
近畿日本ツーリスト(株)  
KC (株)KNT-CTホールディングス        
全日本観光(株)        
東武トラベル(株)    
NT (株)日本旅行東北      
東急観光(株)    
トップツアー(株)        
東武トップツアーズ(株)        
日本交通観光社(株)      
名鉄観光サービス(株)
京王観光(株)  
(株)日本観光倶楽部        
(社)全国農協観光協会        
(株)農協観光    
(株)読売旅行  
(株)南海国際旅行  
(株)トラベル日本  
(株)毎日企画センター        
(株)毎日企画サービス    
(株)朝日旅行会      
(株)朝日旅行      
(株)沖縄旅行社      
山新観光(株)  
(株)タイムス観光        
(株)日本鉄道旅行社      
東日観光(株)  
(株)京阪交通社      
西 西鉄旅行(株)  
共立観光(株)  
(株)長野旅行        
ニューワールドツーリスト中国観光(株)  
広電観光(株)      
ひろでん中国新聞旅行(株)      
山陽観光サービス(株)      
SD サンデン旅行(株)      
日本通運(株)    
日通旅行        
(株)小田急トラベルサービス    
  (株)小田急トラベル        
(株)新潟日報旅行社      
(株)新潟日報サービスネット      
(株)防長トラベルサービス        
(株)防長トラベル    
(株)交通公社トラベランド興業        
(株)交通公社トラベランド        
日旅サービス(株)    
日本旅行サービス(株)        
ジャパンアメニティトラベル(株)        
(株)京阪神ツーリスト        
(株)ツーリストサービス        
(株)KNTツーリスト        
東芝ツーリスト(株)    
北海道ツアーシステム(株)        
(株)阪急交通社    
(株)大学生協事業センター    
ジャパンツアーシステム(株)        
(株)ジャルセールス        
日本空港ビルデング(株)        
HP 羽田旅客サービス(株)      
(株)奈良交通観光社        
奈良交通(株)      
(株)中国新聞トラベルサービス        
東北ツアーズ協同組合        
山交観光(株)    
東急観光サービス(株)        
日本貨物鉄道(株)        
愛知環状鉄道(株)        
(株)中部キャラバン    
(株)朝日旅行会(大阪)        
(株)日立トラベルビューロー    
NECプロサポート(株)      
NECマネジメントパートナー(株)        
芙蓉航空サービス(株)        
エムオーエアシステム(株)        
エムオーツーリスト(株)      
西武鉄道(株)      
西武トラベル        
(株)宮城交通トラベル        
宮交観光サービス(株)      
エフコープ生活協同組合        
JT ジェイアール東海ツアーズ(株)    
土佐くろしお鉄道(株)    
高千穂鉄道(株)        
JH (株)ジェイティービー北海道        
JS ジャパンツアーシステム東北(株)        
HB ジェイアールバス東北(株)    
KB ジェイアールバス関東(株)      
TB ジェイアール東海バス(株)      
NB 西日本ジェイアールバス(株)    
CB 中国ジェイアールバス(株)    
のと鉄道(株)    
(株)パシフィックツアーシステムズ        
(株)PTS      
MR 松浦鉄道(株)      
日本鋼管不動産(株)        
富士通興産(株)        
富士通トラベランス(株)      
内外航空サービス(株)      
JF ジャパンツアーシステム福島(株)        
NH (株)日本旅行北海道    
KN (株)日交観        
(株)羽後交通観光    
(株)ジェイティービー旅行サービス        
(株)遠鉄トラベル    
伊豆箱根トラベル(株)        
伊豆箱根鉄道(株)        
静鉄観光サービス(株)    
BH ビッグホリデー(株)      
(株)ヤマハトラベルサービス      
FJ (株)フジトラベルサービス      
(株)タビックスジャパン      
FE JFEライフ(株)      
CT クラブツーリズム(株)        
(株)グリーンポートエージェンシー        
SB ジェイアール四国バス(株)        
OM (株)日本旅行オーエムシートラベル      
(株)びゅうトラベルサービス      
KH (株)近畿日本ツーリスト北海道        
KK (株)近畿日本ツーリスト九州        
IR IRいしかわ鉄道(株)        
あいの風とやま鉄道(株)        
えちごトキめき鉄道(株)        
BT (株)JTBビジネストラベルソリューションズ        

*1:当時は財団法人、1963/12/01営業部門が株式会社化、2001/01/01ジェイティービーに改称

*2:現在JR西日本傘下の日本旅行

*3:同名の不動産会社があるが、設立が1967年となっているので、別会社と思われる

*4:現ジェイアールバステック

モノクラス制半世紀

50年前の1969年5月10日は、等級制が廃止され、モノクラス制となった、日本の鉄道開業以来最大の旅客制度変更があった日である。この制度改定についての国鉄の公式見解は、

1等車と2等車の設備格差の縮小、利用実態の変化等を考慮して、1等運賃・料金を廃止し、従来の2等運賃・料金による1本立ての制度に改め、等級呼称を廃止することとした。(「日本国有鉄道百年史」第13巻p104)

ということである。

本音は、航空機との競合等を意識して、1等の運賃・料金を値下げしたかったのだろう。諸外国のように等級制を残して1・2等運賃の格差を縮小することもできたが、「金持ち優遇」と反発されるのを嫌って、運賃・料金体系を変更したのではないか。

初期の制度は、1等乗車券の実質を変えずに料金制度のなかに位置付けたものだった。グリーン券に特定都区市内制度を適用したため、大刻みのキロ地帯別料金によって、国鉄の意図に反して普通車との格差が拡大した例もでた(以上旅規ポータルの等級制からモノクラス制へ参照)。1974年10月1日の旅規改定で実質的な料金制となり、この矛盾は解消した。

それ以前の1960年6月1日のダイヤ改正で「つばめ」・「はと」の電車化により1等展望車が廃止され、7月1日の旅規改定で3等級制から2等級制になった。2011年3月東北新幹線に誕生したグランクラスは、3等級制時代の1等車の復活といえる。新幹線車両にも在来線と同じ形式番号が付番されるなら、「クイXXX」となっていたことだろう。

 

国鉄末期とJR発足時の旅規・基準規程対比

旅規ポータルに旅客営業規則対比(1985vs1987)旅客営業取扱基準規程対比(1985vs1987)を掲載した。国鉄末期の1985年7月10日現行の規則・規程とJR発足時の1987年4月1日施行のものとを対比したもの。なお、1985年時点の第9章旅行券はギフトカード及びオレンジカードに変更になり、第11章に旅行業務があったがこれらの章は対比していない*1

この間1986年9月に運賃・料金の改定があったが、旅客制度の大きな変更はなかった。このため、旅規の目次の変更は、次の条項だけである。

削除:第50条(団体旅客の提出する請書)、第56条(横が患者の運送)、第197条(準常備連続乗車券の様式)、第239条(手荷物託送乗車券の旅客運賃の払いもどし)、第325条(遺失物の回送)

新設:第14条の3(他の旅客会社線を通じて連続乗車する場合の営業キロ、賃率換算キロ又は運賃計算キロの通算)、第244条の2(新幹線の特別急行列車の個室に有効な乗車券類を所持する旅客に対する乗車変更の特殊取扱)、第263条の2(新幹線に乗車する場合の特殊取扱)

見出し変更:第78条(東京山手線内等の大人片道普通旅客運賃→電車特定区間内等の大人片道普通旅客運賃)、第326条(遺失物回送の特例→遺失物回送)

これらの変更条項のうち、JR発足時点のものは、旅客会社の分割による14条の3と263条の2*2。244条の2は100系新幹線グリーン個室が運転開始された1985年10月1日、78条は86年9月1日の運賃改定時、その他は国鉄最後の制度改定があった86年11月1日付である*3

基準規程の対比はもっと興味深い。旅規の変更に関連するものとともに、国鉄からJRへの組織変更に伴うものがある。後者はとくに興味深く、JRの基準規程で「別に定める」とされている条項が国鉄時代には具体的に記載されていた。たとえば、25条(定期乗車券等の発売駅の決定)は、旅客局長、鉄道管理局長、地方自動車局部長と、券種ごとの決定者を定めていた。また、245条(回収した乗車券類の処理方)など、「別に定める」を「運輸収入規程に定める」のように準拠規程の名称を記載している。国鉄時代は、内規の規程類の達示も「鉄道公報」に記載されており、情報公開という点では、国鉄時代のほうが進んでいた。

なお、国鉄時代の20条(旅客の非営業線区における臨時取扱方)や150条(新垂井駅発着の場合の区間外乗車の取扱いの特例)は、これまでにもこのブログで取り上げた規定である*4

 

*1:旅行券からギフトカードへの変更及びオレンジカードの新設は86/11/01、旅行業務の廃止は新会社発足時

*2:2007年12月30日記事参照

*3:以上国鉄旅規改訂履歴1958-1987(日付順)参照

*4:垂井駅は86年11月1日のダイヤ改正で廃止

2019年春のウェブ更新(3)

ウェブ更新の第3弾の対象は、3月31日の横浜シーサイドライン金沢八景駅延伸、4月1日のJR北海道石勝線夕張支線とJR貨物北陸本線敦賀港支線の廃止、長崎電気軌道の運賃改定。データルームの以下のページを更新した。

夕張支線の廃止で、夕張市の代表駅は夕張に代わり新夕張になる。新が付かない駅が同時に存在し、その廃止により新駅だけになったのは、鹿島鉄道鉾田駅廃止による鹿島臨海鉄道新鉾田駅以来か。
長崎電軌は120円の均一運賃を130円に値上げしたが、北大阪急行に次ぐ運賃ランキング2位の座*1を維持した。対戦(累計運賃比較)範囲が100キロまでとなった三陸鉄道は、従来の得点順126位、勝率順132位がそれぞれ126位、129位と大きな変動がなかった。

 

*1:勝率順は1位タイだった

逗子・葉山駅

1月29日の記事に転載した「京急の4駅名改称」で、

新駅名でもっとも違和感があるのは、逗子・葉山である。新逗子駅は逗子市にあり、1985年に統合される前の駅名も京浜逗子と逗子海岸で、葉山は全く関係ない。(中略)逗子・葉山にはこのような(自治体名を連称する)必然性がない。三浦半島の人口減少に悩む京急は、葉山のブランドに頼りたいのかもしれないが、逗子市に対して失礼だろう。しいて葉山の名前を使うなら、京急逗子・葉山口くらいか。

と書いた。ところが、2月6日の記事で引用した、朝日の2月1日付記事(耕論)駅名もキラキラ?で、今尾恵介氏は、

近年は特に、地名や駅名の命名に「わかりやすさ」が重視されます。京浜急行もそれを理由のひとつに掲げて駅名を公募、先頃4駅の変更を発表しました。当初は小中学生対象の公募であることから「きらきらタウン」のような駅が出現するのではと懸念していましたが、「高輪ゲートウェイ」の思いがけない「不評」が影響したのか、駅名のあり方を本気で考えたまともな改称となりました。

と、京急の駅名改称を評価していた。

逗子・葉山に違和感を感じたのは筆者だけではなく、やはり地元でも反発があるようだ。視聴していないが、3月24日 のTBSテレビ噂の東京マガジンで「15歳少女の訴え!駅名を変えないで」と報じられたという。TBSのページには

三浦半島の閑静な住宅地として有名な逗子、そして御用邸がある葉山。この二つの町の最寄り駅は新逗子駅。その駅名を、鉄道会社が変更しようとしていますが、公募された新しい駅名に、両方の町から反対の声があがっています。

としか記載されていないが、テレビ番組を抄録しているサイトJCCテレビすべてに、もう少し詳しい内容が紹介されている。新逗子駅から名付けられた新逗子通り商店街会の会長は、突然の駅名変更に困惑し、駅名が変わっても商店会名は変えない方針とのこと。また後段では、土屋武之氏のコメントもあったと記されているが、内容は記載されていない。

今尾氏も、土屋氏も、筆者が信頼しているまともな鉄道ライターだが、土屋氏が何を語ったか興味がある。

 追記(3月30日):土屋武之氏が京急の駅名改称について書いたウェブページを紹介してもらった。ネーミングの重要性を再認識させた「京急の駅名改称」という記事である。逗子・葉山駅については、

新逗子駅は1985年に京浜逗子駅と逗子海岸駅を統合して誕生した駅だが、ブランド力が高い「葉山」を付けることになった。なお、葉山町には鉄道はない。新逗子駅から葉山町の中心部までは、路線バスで10分ほどかかる。

と紹介するだけで、肯定的にも、否定的にも評価をしていない。

今回の施策において、改称対象となった駅周辺地域や自治体に対して、事前の説明があったかどうかも明らかではないが、地元にとって「寝耳に水」の改称計画であったとしたら、反発は十分に予想されるところだ。改称する4駅は、ある意味、地元の同意が得られた駅なのだということだろう。

とも記しているが、TV番組のような反発もある。

今尾恵介氏監修の「日本鉄道旅行地図帳 関東2」で駅名の沿革を調べると、旧逗子海岸駅は、1931年開業時には「湘南逗子葉山口」だった。42年に廃止後、48年に逗子海岸として復活、85年京浜逗子*1と統合、新逗子になった。「しいて葉山を使うなら京急逗子・葉山口」と書いたが、逗子市内の駅に付加するのだから、葉山口が通常の感覚だろう。

 

 

 

 

 

 

*1:1930年湘南逗子、31年湘南逗子沼間口、42年湘南逗子、63年京浜逗子という経過をたどる

2019年春のウェブ更新(2)

本日の更新は、山田線宮古・釜石間の三陸鉄道移管関連の次のページ。

最長片道切符は、これまでの暫定ルートが本ルートとなった。3月16日のおおさか東線延伸開業はルートに影響せず。

町村代表駅は、大槌及び陸中山田の事業者・線名及び岩泉小本等の線名変更。

三陸鉄道の最長距離が163キロになったが、これに伴う「鉄道事業者の運賃比較」の更新は未着手。4月1日の長崎電気軌道の運賃改定とともに更新する予定。